実は、両親は75歳を過ぎたあたりから、K男さんが実家に戻って、家を継ぐことを切望していたそうです。継ぐと言っても商売をしているわけではありません。先祖から受け継いだ古い家屋と田んぼがあるだけなのです。
「『帰ってきてほしい』という両親の気持ちはひしひしと感じていました。でも、僕はサラリーマンです。それに妻は東京生まれの東京育ちで、東北への移住などありえない。両親の気持ちに応えられず申し訳ないとずっと思っていました」
K男さんは「長男」としての期待と罪悪感を一身に背負い、父親の死後、隔週の帰省を続けることとなったのです。
とはいえ、お金が有り余っているわけではありません。実家への交通費の負担は大きくのしかかります。
「お金のことを言いたくありませんが、毎月交通費などに10万円もかかるのは厳しかった。妻も働いているからできたことです」
2年ほど前、母親は身体が衰え、もの忘れも増え、ひとり暮らしが難しくなりました。検討を重ねた結果、母親を神奈川に呼び寄せ、自宅近所の有料老人ホームに入れました。母親の年金だけでは足りないため、月12万円を援助することに。
「東北への通いがなくなり体力的にはラクになったのですが、経済的な負担は通っていたときよりも重くなりました。明らかに、妻は不満そうでした。事あるごとに、『私たちにも老後がくるのよ』と言っていました」
東北の実家を現金化することも考えましたが、周囲は空き家だらけで、売却することもできません。