「ポスト安倍」ここに来て「二階=菅」ラインが見えてきた…!

両氏が手を握れば…

「策士」「寝業師」の異名

7月4日は三木武吉の命日である(1956年7月4日死亡。享年71歳)。三木は、戦後政治史で言う「55年体制」の確立とされた55年11月15日の日本民主党と自由党の保守合同で誕生した自由民主党(自民党)結成の最大功労者の一人である。

54年12月7日に吉田茂内閣が総辞職、3日後の10日に鳩山一郎内閣が誕生した。反吉田勢力を統合した中核には後に首相となる日本民主党(鳩山総裁)の岸信介幹事長と三木総務会長が位置していた。

三木 武吉(1884年-1956年)
 

岸自身保守合同について、『岸信介証言録』(原彬久編。毎日新聞社刊)のなかで「民主党から岸、三木、自由党から石井光次郎(元自民党総務会長)、大野伴睦(同元副総裁)が(合同準備のために)4者会談を数えきれないくらい持った」と語っている。

「策士」「寝業師」の異名を取った三木武吉は戦後、日本自由、分党派自由、日本民主、自由民主党などで党務の重責を担うが一度も主要閣僚を経験していない。52年10月衆院選の立会演説会(旧香川1区)で対立候補から「三木は4人の妾を持っている」と攻撃されるや、「いや4人ではなく5人であります。5を4と数えるごとき、小学1年生といえども恥ずべき間違いであります」と一蹴、当選したエピソードは有名。豪放磊落なのだ。

中曽根康弘元首相は後年、中曽根政権下の幹事長だった金丸信、小渕恵三政権の官房長官だった野中広務両氏の絶頂期を称して「三木武吉を超える党人派政治家」と言ったことも永田町では語り草となっている。

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