あなたが「他の人と同じ景色を見ている」と錯覚できるわけ

量子時代の「観る」ことの意味
松浦 壮 プロフィール

「water!」

そして、もっとも大切なのは、他人と共有できる脳内ネットワークには言葉が付随している、という事実です。というよりも、これは本来逆で、言葉が付随したからこそ、そのネットワークが他人と共有できるようになった、というのが正しいのでしょう。

ヘレン・ケラーが流れる水をはじめて言葉として認識したときの「water!」という叫びは有名ですが、この逸話が言葉とネットワークの関係を如実に表しています。

おそらく、視覚と聴覚を失った彼女の脳内には、流れる水に触ることで得られた「触覚のネットワーク」と、彼女の家庭教師サリヴァン先生が苦労して教えた「water」をはじめとする「言葉のネットワーク」が分離して構築されていたのでしょう。そのふたつが融合して世界が一気に開けた衝撃は察して余りあります。

彼女にとって、「water!」は自分が他の人と同じ世界に誕生した産声だったのでしょう。

【写真】「water!」は自分が他の人と同じ世界に誕生した産声
  「water!」は自分が他の人と同じ世界に誕生した産声だったといえるだろう Photo by gettyimgaes

言葉は「感覚の間の関係」を表現する

このエピソードが端的に示すように、本来感覚だけで構成されている脳内のネットワークは、言葉で括られてはじめて、「言葉の連なり」として脳の外でも表現できるようになります。

もちろん、ここでいう「言葉」とは広い意味での言葉です。世に溢れる書籍や絵画、音楽、ダンス、数式などはすべて、かつて誰かの脳内に作られた感覚のネットワークが言葉の力で形を得たものです。

脳内を直接比較することはできないけれど、ひとたびそれが脳の外側に表現されれば話は別です。言葉で表現されたネットワークは、それを目にした人に新しい認識をもたらします。その人の中に同じ型のネットワークがあれば、そこには会話が成立するでしょう。もしもそれが未知のネットワークであれば、新しい回路を構築する刺激となります。これが「創造」です。

言葉は、ネットワークのラベルであると同時に、ネットワークの表現でもある、というわけです(その言葉を認識するのもまた脳である、というのが更に面白いところなのですが、この文脈では踏み込み過ぎなので触れずにおきましょう)

改めて強調しますが、言葉によって表現されたネットワークは、感覚が作る脳内ネットワークの「表現」であって、感覚そのものではありません。

冒頭の疑問に即して言うなら、自分が見ている「色の感覚」と、他の人が見ている「色の感覚」は間違いなく違うものでしょう。それでもなお私たちが分かり合えるのは、感覚そのものではなく、「感覚の間の関係」が同じ型をしているからです。

この関係こそがネットワークであり、言葉によって表現される部分です。相手の中に自分と同じ型のネットワークがあることを確認することで、相手が自分と同じものを感じているに違いないという想像力が発揮され、共感が芽生えるわけです。

私たちが言葉で共有しているのは、脳内に構築された意味のネットワークである、という意味を汲んでいただけるでしょうか?

【写真】言葉で共有しているのは、脳内に構築された意味のネットワーク
  言葉で共有しているのは、脳内に構築された意味のネットワークである Photo by gettyimgaes

また、すべてのネットワークが言葉で括られているわけではないことも言い添えておきます。

どんな人の脳内にも、いまだに言葉で括られていない脳内ネットワークが確実に存在していることでしょう。それはひょっとすると、いずれ言葉に括られて世界中の人たちと共有されるネットワークかもしれませんし、その人の独自性が作り得る、現段階ではほとんどの人には共有不可能な、世界にふたつとないネットワークかもしれません。

これが個性です。個性というのはかくも尊いものなのです。