ここで素朴な疑問をひとつ。言葉はテレパシーではないので、感覚そのものを伝えることはできません。では、私たちは言葉を使って何を共有しているのでしょう?
結論から言いましょう。私たちが共有しているのは
脳内に構築された「意味」のネットワーク
です。
たとえば「青」という言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょう? 私なら「海」「空」「広さ」「安心」といったあたりでしょうか。もちろん、思い浮かぶものは人によって違うので別のものでも構わないのですが、今私が挙げた言葉と「青」という言葉が脳内でリンクしているのは想像できると思います。
大雑把に言うなら、このような概念を結ぶリンクの集合体が「脳内に構築された意味のネットワーク」と呼んだものです。
「な〜んだそんなものか」と侮ってはいけません。なにしろ、このネットワークは認識の根幹なのですから。
実際、私たちが見聞きしたものに意味づけや判断ができるのはこのネットワークのおかげです。
たとえば、初めて見る樹木を目の前にすると「この木なんの木?」と思いますが、「なんの木?」という言葉が出る以上、初めて見たものであるにもかかわらず、少なくともそれが「樹木である」という認識ができているわけです。これは、「樹木」という概念に付随する形、色、大きさといった要素がネットワークとして脳内に備わっているおかげです。
もし、これまでに一度も樹木を見たことがなければ、初見の樹木は非常に奇妙な構造物に映るでしょう。新しく知覚した物事を認識するには、参照先となる脳内ネットワークが不可欠です。
さらに言うなら、このネットワークは、私たちのコミュニケーションの根幹でもあります。冷静に考えてみると、さきほど挙げた「海」「空」「広さ」「安心」という概念たちは、本来「青」とは何の関係もありません。私たちが経験を通じて強い関係性を見いだしているために、あたかも切り離せない概念のように感じているだけです。
「空は青いよね」という会話が違和感なく成り立つのは、私と皆さんの脳内に「青」と「空」を結ぶ共通のネットワークがあるからこそです。
大げさな言い方をするなら、この何気ない会話を通じて、私は皆の脳内に私と同じネットワークが確かに存在することを確認して、皆と同じように世界を認識していることを知り、ホッとしているわけです。
もし、月で生まれ育った人がいたら、その人の脳内には「空」と「黒」がリンクされているはずです。その人とは「空は青いよね」という会話はスムーズに進行しません。
会話が成立するには、脳内に「同じ型のネットワーク」が必要なのです。