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安倍政権下でなぜ日本は「縁故資本主義」になったのか、その本質的理由

アベノマスク、持続化給付金問題の構造

コロナ禍以降、政治家や官僚との「縁故」が悪用されていると思しき事態が相次いだ。アベノマスクの生産では実績のない企業と随意契約が結ばれており、持続化給付金事業では実態のよくわからない企業が「再委託」を行って濡れ手に粟の金を稼いでいた。

今回だけではない。安倍政権下ではこれまでも、森友学園、加計学園の問題に象徴されるように、権力者との距離によって事業を有利に進められるか否かが決まっていると思われてもおかしくないような事態が起きてきた。

こうした縁故が物を言う資本主義を「縁故資本主義(=クローニー・キャピタリズム)」と呼ぶが、しかしこれは不思議な話ではないか。安倍政権は後で詳述するように「新自由主義的」な政策をとっていると見られてきた。新自由主義では、こうした非効率が打破され、効率的な行政サービスが実現するはずではなかったのか

実は、ことはそう単純ではない。

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1970年代に起きた「転換」

筆者は、拙著『ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼』(PHP研究所)において、1970年代に、それまでの「国家主導」の体制が行き詰まり、経済システムが転換を必要としたことを、コルナイやハイエクといった、ソ連型経済体制の批判的分析をした論者の議論にそって論じた。

必要とされたのは、「当局者の事後的な裁量判断」が蔓延する体制から「リスク・決定・責任が一致」する体制への移行であり、そのためには、なるべく政治が民間人にリスクをかけることのないよう、国家は民間人の予想を確定することに徹するべきだと述べた。どういうことか説明しよう。

コルナイが言うには、ソ連型経済体制の国営企業の経営者は生産手段を買う決定権を持っているのに、その結果について自腹で責任を負わない。事業が失敗しても一文無しにならないわけだ。だから経営者は過剰に生産手段を買いましていくが、そのリスクは経営者本人ではなく国全体がかぶることになる。

こうしてソ連型体制では、経済全体で生産手段の生産のために生産資源が多く割かれ、消費財生産のために割かれる資源が圧迫されてしまい、慢性的な消費財不足になって崩壊に向かった。