失われる居場所、人との関係

一方、うどん・蕎麦の店や寿司といった江戸のファストフードは、単身男性が多く、火事の危険から台所環境が整わなかった町で、日々の食事を賄って発達した。近代に生まれた定食屋なども、シングルや仕事に出ている人たちの食事を賄う。現在もそうだが、多忙な人、料理が苦手な人たちにとっては、外食店は不可欠である。

もしかすると、こちらのニーズはテイクアウトである程度まかなえるかもしれない。そこで失われるのは、店員や、偶然そこで同席する人たちとの会話。あるいは、店でくつろぐ時間。つまり、コミュニティでの居場所である。ここでも外食店がないと、失われるリスクがあるのは人との関係だ。

〔PHOTO〕
-AD-

家族の会食にも、外食店は使われる。昭和後期、ファミレスをよく利用したのは、食事作りを一手に担うお母さんを慰労するためだった、という家庭は多い。今でも、週末に食事作りを休むために食べに行く習慣を持つ家族は恐らく多い。外で食べると気分が変わり話が弾む、という人たちもいるだろう。

家族は日々濃厚接触をしているから、席同士が隔離されたファミレスや大手回転寿司チェーンは、他人との接触に対して過敏にならずに済むかもしれない。しかし、選択肢が多様な現代に生きる家族には、もっとほかの御用達の店があるかもしれず、その中にはコロナ禍で安心して食べにくい店もあるだろう。

空腹を満たすだけなら、人はどこででも食べられる。しかし、人が食べることに求めるのは、そうした生物的な必要からだけではない。