「生きがい(マリファナ)を得て死を考えれば…」植松聖からの手紙

相模原障害者殺傷事件が僕たちに突きつけたもの【第4回】
映画監督・作家の森達也氏が3月19日、死刑判決直後の植松聖と面会した。2016年、入所中の知的障害者19人が殺害されたあの事件の深層とは何か。植松の手紙から見えてくることとは?

第1回はこちら:相模原障害者殺傷事件とは何だったのか?「普通の人」植松聖との会話
〔PHOTO〕gettyimages
 

もっと植松さんと話したい

植松聖様

先日はいきなりの面会依頼だったのに、承諾してもらえてありがとうございます。

僕はそもそも植松さんやこの事件そのものに、市井に生きる普通の人以上の興味はなかったと思います。事件に強い興味がない、ということではなく、多くの記者や識者やジャーナリストたちが毎日のように面会してその会話の内容を記事にしていたので、それでほぼわかっているような気分になっていた、ということです。
そもそも鈍いのです。だからどうしても人から遅れてしまう。ずれてしまう。まあでも逆に、だからこそオウムの映画などを撮れたのだと思いますが。

同じことは今回も言えます。今頃になって、だけど、僕はもっと植松さんと話したい。質問に答えてほしい。意見を交換したい。特に面会して以降、その気持ちは日ごとに強くなっています。

このまま控訴しなければ、あっというまにほとんどの人はこの事件を忘れます。数年後に処刑されるときに小さな記事になって、そういえばそんな事件があったなと多くの人は思いだす。そうなることは目に見えています。
植松さんがどれほど意識的だったかどうかは僕にはわからないけれど、少なくともこの事件が提起した(本質につながる)問題を、日本社会はまだきちんと咀嚼できていないし、理解もしていないように思います。
植松さんはそれで満足ですか?

お願いだから控訴してください。僕の願いなどでは意味がないとは思いますが、この事件をこの形で終わらせてしまうことは、この国と社会のために絶対に良いことではない。それだけは断言できます。

控訴期限が近づいて面会と手紙などで時間がないだろうと推察します。もしも控訴していただけるなら、また話ができます。手紙のやりとりもできます。

短い手紙で申し訳ないです。今はただ、控訴していただきたいとの一念でこれをお送りします。控訴することは「筋が通らない」と植松さんは面会の際にも何度も言ったけれど、でもここで裁判を終わらせてしまうことは、この社会に対して、もっと「筋が通らない」ことだと僕は思います。

3月26日 森達也