54歳でこの世を去った天才柔道家、斉藤仁とは何者だったのか

本当に強かった…
週刊現代 プロフィール

ありきたりの人生でいいの?

大人でも、斉藤の指導に音を上げる者が多かった。アテネ五輪(2004年)の100キロ超級金メダリスト、鈴木桂治もその一人。国士舘大柔道部などで指導を受け、あまりの厳しさに「斉藤監督は鬼以外の何ものでもなかった」と語っている。それと同じような稽古を息子に強いたのだ。

斉藤のことを、人は「柔道では一切妥協しない」「畳に上がると人格が変わる」と評するが、それにしても息子たちが「家出したいと何度も思った」と告白するほど過酷な稽古を、なぜ続けたのだろう。妻の三恵子が話す。

「一郎を受験のための塾に通わせ始めたときのことです。主人に『子供たちを何にしたいの?』と訊かれました。私は母親として、『いい学校に入り、いいところに就職してほしい』と願っていました。

すると主人は、『ありきたりの人生でいいの?』と言うのです。柔道一筋の主人は、稽古や試合を通して、勉強だけでは味わえない感動、本当に心を揺さぶられる瞬間を何度も経験してきたのでしょう。受験や就職ばかりにとらわれて、ありきたりの人生を歩ませたら、こうした真の感動を息子たちは味わえない。主人はそう考えて、柔道の指導をしていたのだと思います」

斉藤は1989(平成元)年に現役を引退したあと、国士舘大柔道部の監督のほか、柔道日本代表の監督やコーチとして多くの選手を育てた。2014(平成26)年、肝内胆管がんと診断されたときは、柔道日本代表の強化委員長だった。

鬼のような形相で、いつも相手に挑んだ。柔道一筋に生き、その道を継ぐ者たちをいまも見守っている photo by gettyimages

そして、がん判明から1年、54歳で亡くなった。しかし死は、別れではなかった。三恵子はこう語る。

「いまも主人のお骨は大阪の家にあります。私は毎日息子たちのことを報告したり、愚痴を言ったりしています。主人が亡くなって5年以上がたちますが、本当の意味でお別れを言った気がしません。

主人はひたすら柔の道を歩んだ人でした。これからは私と一郎、立が、その道の続きを歩いていきます。主人もずっと一緒に歩いてくれるでしょう。だから、お別れの言葉など言う必要はないんだと、思っているのです」

(文中敬称略)

『柔の道 斉藤仁さんのこと』山下泰裕=編 講談社刊 1500円(税別)