54歳でこの世を去った天才柔道家、斉藤仁とは何者だったのか

本当に強かった…
週刊現代 プロフィール

身長178cm、体重約100kgで

そして1976(昭和51)年春に上京。国士舘高校柔道部の道場で、川野はまたしても目をみはる。練習の初日、斉藤にストレッチをやらせたときだ。

「畳に座って両足を開き、上半身を倒す、つまり相撲の股割りをやらせると、ビターッと頭が畳についた。特に下半身がすごくやわらかい。当時彼は身長178cm、体重約100kg。私は『倒立はできるか』と訊きました。斉藤は『はい』と答えるや、逆立ちしたままトントントントンと歩いたのです」(川野)

ずば抜けた身体能力を実感した川野は、背負い投げの練習を徹底的にやらせた。「日本一厳しい」とのちに斉藤が評した稽古の甲斐もあって、彼が2年のとき、インターハイの柔道団体戦で国士舘高校は初優勝を遂げた。

高校の寮で。平日は早朝に1時間、夕方から4時間の練習があった。休日はもっぱら掃除と洗濯。遊びに出かけることはほとんどなかった 写真/『柔の道 斉藤仁さんのこと』
 

斉藤がさらに強くなったのが国士舘大学時代だ。当時、柔道日本代表の重量級担当コーチだった上村春樹の指導が効いた。

「斉藤の柔道は豪快かつ大雑把。得意とする技も少ない」

そう考えた上村は、さまざまな投げ技の足の運び方、重心移動の方法を緻密に教えたのだ。斉藤自身も最上の身体の動かし方を「ミリ単位」で追求し、山下泰裕の最大のライバルと呼ばれるようになっていった。

斉藤が生涯大事にした言葉がある。「剛毅朴訥」だ。前出の川野監督が語る。

「彼が高校を卒業するとき、私がその言葉を贈りました。剛毅とは何事にも屈しない強い精神力。朴訥とは天狗になることなく、飾り気のない、ありのままの姿でいることです。このふたつがあってこそ、本当に強い人間と言えます。柔の道とは、そういう人間になるための歩みのことです」

地道な鍛錬を日々重ね、彼はまさに剛毅朴訥に生きた。