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54歳でこの世を去った天才柔道家、斉藤仁とは何者だったのか

本当に強かった…

1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪の柔道男子95キロ超級で2大会連続金メダルを獲得した斉藤仁。2015年、がん性胸膜炎を患い54歳で急逝した柔道家である。

最強の柔道家・山下泰裕氏をして「私にとって、最大にして最高のライバル」と言わしめた斉藤。彼のさまざまな秘話にふれた単行本『柔の道 斉藤仁さんのこと』(山下泰裕・編/講談社刊)が刊行され、話題になっている。

彼が歩もうとした「柔の道」とは何か。どこに向かっていたのか。なぜ、あれほど厳しい鍛錬を積むのか……。昭和の怪物・斉藤仁の人生を振り返る。

『柔の道 斉藤仁さんのこと』山下泰裕=編 講談社刊 1500円(税別)

すさまじい気迫、執念、努力

俺はエベレストには登ったけど、富士山はまだだ――若い頃の斉藤仁は、よくそう語った。

1983(昭和58)年、モスクワで行われた世界選手権の無差別級で、22歳の斉藤は初優勝。翌84年には、ロサンゼルス五輪の95キロ超級で初の金メダルを獲得している。しかし、全日本選手権を制覇したことがなかった。それを「富士山未踏」にたとえたのだ。

山下泰裕が立ちはだかっていたからである。

斉藤の3学年先輩にあたる山下は、1977(昭和52)年から1985(昭和60)年まで全日本選手権を9連覇し、まさに無敵。1983~85年は決勝で斉藤をくだしている。一方、1983年の世界選手権は95キロ超級、1984年のロス五輪は無差別級で金メダルを獲った。

1984年、ロサンゼルス五輪の95キロ超級を制した斉藤 photo by gettyimages
 

つまり国際試合では、山下と斉藤は別々の階級に出場し、ともに頂点をきわめることができたが、全日本選手権は無差別級日本一を決める大会だ。体重別階級制を採っておらず、優勝者は一人。その座に、山下がすわり続けたのである。

山下が振り返る(本記事の談話は、『柔の道 斉藤仁さんのこと』より抜粋引用)。

「私と仁ちゃんは計8回対戦しました。1985年春の全日本選手権決勝が2人の最後の闘いで、私の現役最後の試合でもあります。私が判定で勝ったのですが、きわめて微妙で、どちらに旗が上がってもおかしくなかった。彼のほうが、分がよかったかもしれません。

それまで、日本代表の合宿などで一緒になると、仁ちゃんはいつも私と稽古をしたがりました。私としては力の差があるときはいいけれど、実力が接近してくると、彼と稽古をすれば手の内を明かすことにもなるので正直やりたくない。『もう来てくれるなよ』という思いから、あえてほかの選手がいる前で投げ飛ばしたり、絞めたりして、わざと恥をかかせたこともあります。

たいていの人は、それで嫌になって来なくなります。でも、仁ちゃんは懲りずに、何度でも『先輩、お願いします』とやってきた。稽古場での仁ちゃんの気迫や努力には、すさまじいものがあったのです。『打倒山下』という目標、その一点にすべてを捧げる。山下を倒すためだったら、泥まみれになっても、どんなに恥をかいてもかまわない―すさまじい執念を感じました」

山下には一度も勝てなかったが、斉藤が強くなったのは、山下という最強のライバルがいたからこそであった。