中学での成績もかなりよく、偏差値は60台後半をキープ、この時も特段、塾などには通っておらず、自学自習で過ごしていたという。
「幼い頃から母が教育熱心で、七田式と呼ばれる教育方法を家庭で受けていました。母の家系は教師が多く、父の家系は東大卒の人が多かったので、大学に行くのは当たり前という教育を受けてきました」
受験校に選んだのは、地元トップ、偏差値70超えの超難関公立進学校だったのだが、それも合格、順調に高校生活をスタートさせた。
だが、高校に入ると様子が変わった。いくら勉強をしても、成績が伸び悩む状況が続いた。そんな折、2年生で世界史の担当になったのが、威圧的な態度の教師だった。
「教科書を丸暗記しろと言われました。できない生徒がいるとものすごく大きな声で“なんでできないんだ!”と怒鳴られる。僕もできずに、よく呼び出しになりました。呼び出されるたびに“休み中おまえはどんな勉強してきたんだよ!”、“なにしてたんだよ”と、大きな声で問い詰められました。でも、先生に逆らうなんてできないし、何も言えませんでした」
叱責のための呼び出しは頻繁に行われ、田村さんは次第に体調を崩しやすくなり、ある日から便を出したいのに出せなくなるようになったと話す。同校の養護教諭に進められ、母親と共に病院を受診すると、発達障害という診断が下った。
「そうなんだ…と、少し納得しました」