北朝鮮にどれほど邪険にされても文在寅政権には痛手にならない理由

統一はもはや「どうでもいい」目標

外から見るときの色眼鏡

「あいつの考えている事がもうわからない」。人生には時にそう言いたくなる場面が存在する。そして我々がそう思う時には、たいてい、1つの前提が存在する。それはかつては「あいつ」の事をわかっていた、という理解である。そして思う。彼らが変わってしまった背景には、この間に彼らが経験した何か大きな変化があったに違いない、と。

しかしながら、実際にその思いを彼らにぶつけた時、我々は時に意外な反応に直面する。彼らは言う。自分は突然変わった訳ではなく、あなたが変化に気づいていなかっただけだ、と。そう、時に我々は自らの古い見方に囚われるあまりに、相手の変化を「認識」する事ができず、結果として彼らの事を「わからなく」なってしまうのである。

そして、同様の事態は国家間関係においても出現する。そして、その典型的な例の1つが、今日の日本における韓国に対する理解である。事実、今日の日本では「韓国は訳のわからない国だ」あるいは「文在寅政権は支離滅裂だ」という、言葉が飛び交う事となっている。そしてそこでは彼らの非合理性が大きく強調される。

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とはいえ実際には、一国の政治が何の計算もなく「支離滅裂」に展開される事は滅多にない。ましてや韓国では大統領に多くの権力が集中しており、多くの政策は中央集権的に決定される国である。当然の事ながらそこでは、政策決定過程は大統領の意志に忠実なものとなりやすい。

 

加えて、今年4月の国会議員選挙で大勝した文在寅政権と与党は、野党の抵抗を考慮せずして自由に政策を実行できる状態にある。つまり、少なくとも国内的には、文在寅政権は思うがままに自らの政策を実現できる環境下に置かれている。

にもかかわらず、文在寅政権の外交政策が「支離滅裂」であり、また非合理的に見えるなら、我々側のバイアスを考えた方が良い。