ユニクロに潰された数々の企業に学ぶ「変われないことの危険性」

敗れるときは一瞬、二度と戻れない
週刊現代 プロフィール

手頃な価格で流行の服を買う「ファストファッション」を日本で確立したユニクロの存在は、私たちの生活を変えた。部屋着だけではなく、商談やデートに着ていく「よそ行きの服」がユニクロでも、何の違和感もなくなった。

世の常識、時代というものは、ある日突然、一気に変わる。それを体現したのが、アパレルにおけるユニクロだ。

一方で、既存のアパレル企業は次々と淘汰されていった。レナウンが今年5月に「コロナ倒産」したのは業界に衝撃を与えたが、仮にコロナがなかったとしても、経営が傾くのは時間の問題だっただろう。

こうしてユニクロだけが勝ち、既存アパレルがあっという間に駆逐されていったその理由とは、何だったのか。

 

「あれは田舎で売るもの」

1949年創業、'84年から柳井正氏が舵取りをするユニクロが全国的な知名度を獲得するようになったのは'98年のこと。1900円のフリースは200万枚を売り上げ、同年原宿に都市型店舗一号店をオープンした。

「ユナイテッドアローズ」や「ビームス」など、若者に人気絶頂だったセレクトショップが軒を連ねる原宿への出店は、ユニクロがアパレル業界に放った「第一の矢」である。

事業再生コンサルタントの河合拓氏は言う。

「当時、ほとんどのアパレル業界関係者はユニクロを相手にしていませんでした。『あんな低価格品は田舎や郊外に出店するべきだ、都会進出で成功するのは高級ブランドだけだ』と考えていたのです。

'98年というと、すでにバブルは崩壊していましたが、アパレル業界にはまだその残り香があり、ローンを組んで服を買う人も珍しくなかった時代です。

にもかかわらず、柳井氏は『ブランドは虚像に過ぎない』とまで言い放ち、低価格路線を取り続けました」