日本人はなぜ「人権」をうまく理解できないのか、その歴史的理由

抵抗権を骨抜きにされた日本の「人権」
森島 豊 プロフィール

過去の為政者も人権を警戒した

欧米の人権はキリスト教プロテスタントの影響の中で生成した。16世紀に始まった信仰の自由を求める彼らの運動が、神に創造された人間として生きる権利を法的に保障する動きへと展開したのだ。

重要なポイントは、彼らの運動が抵抗権に支えられていたことだ。抵抗権とは、君主に勝る存在(神)を根拠にした人民の権利だ。人民は君主に忠誠を尽くすが、非人間的行為を強いる暴君に対しては抵抗する権利を主張した。人間として生きる権利は、王であっても犯すことができず、違反した場合は聖書が証しする神を根拠として抵抗したのだ。

日本の為政者が常に警戒していたのはこの抵抗思想だ。君主に抗う抵抗思想が民衆に入ることを恐れていた為政者は、欧米のキリスト教がそれを育むことを感覚的に知っていた。豊臣秀吉はキリシタンの少女たちが寝床の相手を拒んだと聞いて驚愕した。わずか十代の娘に「No」と言わせるキリスト教の影響を恐れたのだ。秀吉はその夜バテレン追放令を発令した。徳川家康もキリシタンの側女が棄教命令を拒んだことを機に厳しいキリシタン弾圧を展開した。

江戸幕府は幕末にも長崎でキリシタンを弾圧し(浦上四番崩れ)、明治政府はその対処について諸外国から糾弾されたが、外交会議の中でキリスト教への警戒理由を、民衆が君主に抵抗する要因になるからだと明言している。

長崎の浦上天主堂〔PHOTO〕Gettyimages
 

明治政府がキリスト教を弾圧したのは、欧米が日本を植民地化する「奪国論」を警戒したからという説を耳にするが、明治政府は欧米が植民地政策として宣教師を送り込んでいると考えてはいない。日本を植民地化する欧米の奪国論にキリスト教が関わっているという見方は、キリスト教弾圧のプロパガンダとして民衆に浸透していたが、政府にその認識はなかった。

明治政府は、それまでに捕らえた宣教師や政教分離のプロテスタント国の情報からキリスト教による奪国論の恐れはないと知っていたのだ。実のところ政府は国家統治に必要な君主の絶対性を相対化させるキリスト教信仰の民衆への影響に警戒していたのだ。