ひな壇の新人は「まな板の鯉」

もし、「まな板の鯉【相手のなすがままに任せるより仕方ない状態のたとえ】」を現代風に言い換えるとするなら、『ひな壇の新人』がぴったりだと思う。当時はそれぐらい、「いじられることだけ」しかできなかった。いじって周りがお膳立てしてくれないと意味のない存在だ。

逆に言うと、何も出来ないのに無条件で先輩たちや番組に守られて、成立させてもらっていたのだ。お陰でテレビ出演に慣れていくその間に、色々と勉強することができた。そして今でもまだ勉強中だ。改めてお礼を言うことはないが、頭の上がらない人たちはたくさんいる。

でも、仕事とプライベートの区切りが曖昧なうちは、上手く気持ちを処理できないこともあった。メディアに出るようになった人がよく言う「自分を見失ってしまう」状態だ。抱きたい女芸人スペシャル2年連続最下位。0票を記録した時は、相当こたえた記憶がある。私の性が乱れる引き金にもなっている。まぁそれは8割がた、私の欲求の強さのせいだが。

写真提供/バービー

それはさておき、自分の価値を信じられないまま人からいじられると、とても深い傷になるときがある。自分を否定してくる言葉に自分が共感してしまうからだ。この場合、私がズタボロになったのは、「女性としての価値」である。全世界が私を女として最下等だと言っているように感じた。

だから、リアルなコンプレックスをえぐる生々しさを笑いのタネとする演出の番組に対しては、当時から違和感を抱いていた。だが、スタジオバラエティは違う。セオリーがあり、即興コントともいえる作品である。あれは、ルールを設けた「プロ」によるエンターテインメントであって、「リアル」ではない。一般の人や、私のような新人がバラエティに出ても番組が成立するのは、「プロの存在」があるからだ。