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自分の人生のいかなることも
他人のせいにはできない。
それを受け入れられたとき、
ひとは本当に自由になれる。

自分自身のモノサシで1日1ミリでも前進できればいい((c)高瀬志帆/小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中)

自由とは、自分よりも強い権限をもっているひとから大きな許可を与えてもらうことではありません。自由とは、誰のせいにもできないこと。そのスリルが心地よいと感じられること。自由とは、「キミは何を感じているんだ?」「キミは何を考えているんだ?」「キミはどうしたいんだ?」「キミは何者なんだ?」と常に問われている状態。つまり、無限の問いの集合体です。自由とは、世界との向き合い方を自分自身で決めるということ。世間の評判にとらわれたりひとと比べたりするのではなく、何が大事かを、自分でつくったモノサシで決めること。中学受験をはじめとするさまざまな経験に基づいて自分オリジナルのモノサシが得られれば、人生を自由に生きる術を得たも同然。そのモノサシにおいて1日1ミリでも前進することを怠らなければ、ひとは自由に生き続けられるのです。

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私立の中高一貫校に通える
状況にある子どもは実はものすごく少ない。
その恵まれた環境から受けた
恩恵を独り占めしてはいけない。

夜の繁華街の一角に、黒木のもう一つの顔が隠されている((c)高瀬志帆/小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中)

家から通える範囲に行きたいと思える私立中高一貫校があり、実際にそこに通わせるだけの経済力が家庭にあり、そこに合格するに十分な学力があるというだけで、ものすごくラッキーなことです。ただし念のために付け加えておきますが、経済力のある親元に生まれ育ったことがラッキーなのではありません。経済的に余裕をもつことができたラッキーなひとたちが築いた家庭に生まれ育ったことがラッキーなのです。何が言いたいか。わが子に中学受験をさせられるということも、親の実力なんかじゃないということを、親こそわきまえなければ始まらないということです。

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あなた自身の努力がなければ
合格はできなかった。でも一方で、
あなたにはどうにもできない
幸運が重ならなければやはり
合格はなかったはずなんだ。

難関中学への合格者が増えるかどうかは結局運だと言う塾講師たち((c)高瀬志帆/小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中)

中学受験ができる環境に生まれ育ったということは、いってしまえばほとんど運です。さらに、出身家庭の経済力がそのまま学力の差や将来の年収にも相関してしまうことが知られているように、自分の努力によって培ったかのように見える学力だって、恵まれた条件がさまざまに重なって得られたものです。つまり授かり物です。ですから、それをどのように使うかは、本来自分で勝手に決めてよいものではないのです。中学受験を終えた直後の12歳にそれを理解しろというのはちょっと酷ですが、中高の6年間のうちには気づいてほしいですね。