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カトリック教会で「子供の性的虐待3000人以上」…狂信と信念の境目

真摯な反省がない世界で起こること

なぜ悲劇が繰り返されるのか?

6月18日 のAFPのニュース報道によれば、フランスのカトリック教会で1950年以降、少なくとも3000人の子どもたちが性的虐待の被害を受けたとする推計結果が、17日に司教らの要請に応じて設立された調査委員会から公表された。

実際の被害者数は、これよりはるかに多い可能性があるという。司教の要請に応じて設置された調査委員会だから、被害を少なく見積もることはあっても、多く見積もることはないであろう。いったいどれほどの被害が広がっているのか、考えるだけでも恐ろしい。

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カトリック教会の聖職者による児童への性的虐待は、もしかしたら、カトリック教会設立以来一千数百年以上も続けられてきたのかもしれないが、事の性質やこれまでカトリック教会が絶大な力を振るってきたことから、歴史の闇に葬られた形だ。

カトリック教会聖職者による悪行が明るみに出始めたのは、2002年に米国のメディアが大々的に報道して以降ここ20年ほどのことにしか過ぎないが、過去の卑劣な行為が次々と明らかになっている。

このような事件が起こっていたのは、孤児院や学校、神学校など司祭や修道者あるいは施設関係者と子供たちが共同生活を送る施設であることが多かったとのことだ。

か弱い子供たちに、耐えがたい苦痛を与えた聖職者には、米国だけではなく、アイルランド、メキシコ、オーストリアなどで訴訟が起きている。もしも彼らが主張するように神が存在するのなら(私の宗教観は6月10日の記事「コロナ、暴動に満ちた今こそ『苦しいときの神頼み』の効用を見直そう」を参照)、ぜひ天罰も与えてほしいものである。

最近、「黒人の命は大事だ」ということが叫ばれているが、もちろん日本人などの有色人種や白人を含む「非黒人」や、人種を問わず一般市民の安全を命がけで(特に米国の場合は……)守る警官の命も大事だ。どのような人にとっても命が大切なことは言うまでもない。

しかし、か弱い子供たちに与えられた卑劣な性的虐待は「死」を上回る苦痛かもしれないし、死ぬまでその傷に苦しむことになる。

 

過去に起こったことは、神からも含めた「裁き」が下るにしても、新たな被害をこれ以上増やしてはならない。そのためにはどうすれば良いのであろうか?