ハチミツ二郎「死を意識したことが、サラリーマン二郎のきっかけだった」

芸人から「狂気」が失われた時代を生きる
田崎 健太 プロフィール

ビートたけしに言われたこと

インディーズ時代に、師匠となるビートたけしと出会っている。

「たけしさんの(ラジオ)番組でネタをやることがあったんです。その流れでぼくが三〇(才)までに死ぬって言っているという話になった。(大川興業のイベントで)優勝しているし、このまま売れずに死んでもいいか、と思っていました。二二(才)ぐらいのときですね。そうしたら、たけしさんは “そのときになりゃ、変わるよ” と」

その後の生活は芸人らしい、刹那なものだった。

「親から勘当されて、(住む)家もなくなった。でも、日比谷野音でライブをやっているんです。それで一五〇万ぐらい借金背負った。ライブの賞金以外収入がないのに、毎日誰かが会計してくれて、旨いもの食って、女の家を転々として。二九(才)ぐらいからテレビに出だして、そんな生活をしているうちに三〇(才)は通り過ぎましたね」

 

そして、現在の相方である松田大輔を迎えた(二代目)東京ダイナマイトは、ビートたけしのオフィス北野に入ることになった。

「テレビに出始めて、金が入ってくるようになると俺は派手に振る舞っちゃう。すると、サンドイッチマンの伊達(みきお)ちゃんとか人が集まってきた」

二郎は後輩たちに気前よく食事、酒を奢った。金のあるなしは気にしない。それが芸人だと考えていたからだ。その集まりは “二郎会” と呼ばれるようになった。

「税理士に頼んで確定申告していたんですけど、少なくとも年間で一〇〇〇万は使っていた。十年めに貯金がゼロになっていた。一億円は使っていた」

あのとき、年に五〇〇万でも貯金しておけば、今回の(新型)コロナがあっても家でゴルフの素振りでもしながら過ごしていたんでしょうね、と笑った。

「金がないから、面白いんですけれどね」