写真/岡田康且

ハチミツ二郎「死を意識したことが、サラリーマン二郎のきっかけだった」

芸人から「狂気」が失われた時代を生きる

お笑い界に衝撃を与えた、「東京ダイナマイト・ハチミツ二郎がサラリーマンになった」との知らせ。コロナ禍が芸能界と興行の世界を直撃する中で、新たな生き方を模索する二郎はいま、何を見ているのか? ノンフィクション作家・田崎健太が、彼の人生をかけた決断の真相に迫る。(文中敬称略)

「インディーズ芸人」の道を選んだ20代

吉本興業総合学院(NSC)を卒業後、吉本興業の舞台に上がれる芸人は、ごく僅かである。

ハチミツ二郎はそこからこぼれ落ちた。ただし、選ばれた同期の品川庄司と比較して、自分が負けているという感覚はなかった。その力を観客の前で、自力で示してやろうと思ったのだ。

写真/岡田康且
 

九六年、ハチミツ二郎は曽根卍と東京ダイナマイトを結成し、大手芸能プロダクションに所属しないインディーズ芸人として舞台に上がるようになった。

「インディーズなのに五〇〇人、六〇〇人も集めていました。大川興業のライブで、三〇〇組ぐらいネタ見せやって、十組ほどが本戦に残って、観客投票で優勝が決まる。そこで優勝しました。ということは(他の芸人は)俺たちに負けている。俺たちに負けた人がどんどんテレビに出て、人気が出始めた」

一九九九年三月からNHKで『爆笑オンエアバトル』が始まっていた。

「俺たちはインディーズで(大手)事務所に入っていないから、オンエアバトルが始まりますよとか、フジテレビで新人(芸人が対象)のこんなネタ番組が始まりますよ、という情報が入ってこない。

それでも当時はインディーズの方が勢いがあったんです。鳥肌実さんなんて、一万人越えの動員だった時期もある。俺らが四、五〇〇の動員。鳥肌さんは桁が一つ違った。そもそも大川興業自体がインディーズじゃないですか」