ハチミツ二郎がIT企業の正社員に…?「コロナ時代の芸人の生き方」

サラリーマンになろうと思った理由
田崎 健太 プロフィール

お笑いを志した理由

ハチミツ二郎こと高野二郎は、一九七四年十一月に岡山県倉敷市で生まれた。

初めて芸人を観たのは、幼稚園か小学一年生のときだった。当時、人気だった「ザ・ぼんち」が近くのスーパーマーケットの屋上にやってきたのだ。三千人もの人が集まり、店に収まらず、川を挟んだ家の屋根に子どもたちが登っていた。

「その後、小二ぐらいのときに、コント山口君と竹田君が観たくて行ったら、その後に出てきた月亭八方師匠が、もうドッカン、ドッカンで。そのとき、ああ、お笑いってすげぇなって。もちろん、テレビでは(『俺たちひょうきん族』の)タケちゃんマンとかも観てるんですけど」

 

小学校高学年となり、大阪まで足を伸ばして、なんばグランド花月にも行った。

「ティーアップとかベーブルースとか、岡山では知らない人が出ていた。ダウンタウンじゃなくても面白い人っているんだ、みたいな。

それで、中学ぐらいから学校に行かなくなったんです。俺はプロレスラーか芸人になるから、(学校は)関係ないって思って。部屋にテレビを持ち込んで、朝から放送終了まで観てました。平日の最後は『ミュージックトマト』っていう番組で、バンドのミュージックビデオ観て、その後はカラーバーになる」

俺は多分、倉敷に残っていたら、ヤクザになっているか、早めに死んでいたと思いますよ、と付け加えた。