「人種差別にピンと来ない」日本人には大きな特権があるという現実

「何気ない言動」が問われている
ケイン 樹里安 プロフィール

越境するレイシズム

日本社会におけるレイシズムは命と生活を揺さぶり続けてきた。日本とフィリピンのルーツをもつ「ハーフ」の子どもが両親に連れられて、米国へと向かったのは、その外見が嘲笑の対象となったからである(*7)

彼とその家族を日本社会から排除したものこそ、レイシズムである。越境したあとに彼を待ち受けていたのは、トランプ大統領のもとでDACA(親に連れられて米国に入国した不法移民の若者を救済する制度)の廃止と、その決定を覆す最高裁の判決が、ダイレクトに彼のアイデンティティと生活と未来への見通しを揺さぶる経験である。

「職質やで。靴脱がされねんで。1回とか2回ちゃうよ。きついやろう?」(ケイン樹里安,2017,「ハーフの技芸と社会的身体――SNSを介した「出会い」の場を事例に」『年報カルチュラル・スタディーズ』第5号)

上記に引用したのは、日本とフィリピンにルーツをもつ「ハーフ」の男性の語りである。組織的人種差別は、アメリカだけの話ではない。日本社会においても厳然と存在している。

この若者の外見から、次々と警察官が「麻薬をもっている」ことを予期し、職務質問を行い、公道で靴を脱ぐよう指示する日常が、日本社会にある。典型的な「人種的プロファイリング」である。「1回や2回」でそれが終わらないのは、それが組織的人種差別であることのあらわれである。

上記の論文には書き記していないが、彼はそうした日常がなおも続くことを予期していた。レイシズムは越境する。日本からアメリカへといった地理的な距離や社会的文脈だけではない。過去・現在・未来という時間的距離をも越境しながら、当事者の命と生活に作用し続けるのである。

 

組織的人種差別であれ、日常の人種主義であれ、レイシズムは、その対象となる人々の現在と未来の命と生活への潜在的・顕在的プレッシャーとして押し寄せるものなのだ。そして、そのプレッシャーは組織の論理――仕事だからしょうがない――やマジョリティの何気にない言動――そんなつもりなかったんだからしょうがない、気づかなかったんだ――によって、正当化されてしまう。

非常時における福祉排外主義を支えているのは、こうした正当化のロジックの数々だ。それは、社会の多数派・主流派であるマジョリティの立場からみて「正当」に見えるだけであって、そこには不平等や不公正がまぎれこんでいる。だから、わざわざ正当化しないと居心地がわるいのだ。「差別ではなく、区別だ」「国民の税金なのだから当然だ」という言葉を、わざわざ繰り出さねばならないほどに。

レイシズムは日常と非日常をも越境するのである。

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