「人種差別にピンと来ない」日本人には大きな特権があるという現実

「何気ない言動」が問われている
ケイン 樹里安 プロフィール

オコエ瑠偉選手と「差別」

2020年6月15日の深夜。オコエ瑠偉選手がTwitterにある投稿をした。その投稿は瞬く間に拡散された。その投稿には、自らの身体とルーツを嘲笑され、他者化されてきた経験の数々が記されていた。彼が保育園で「思い知らされた」のは、ごくありふれた保育園での出来事――絵本『醜いアヒルの子』の読み聞かせ、親の似顔絵を「肌色のクレヨン」で描かせる取り組み――が嘲笑のトリガーになるということだった。

小学校では、肌の色をあざわらいながら「お前の家では虫とか食うんだろとか、ここには出せないほどの汚い言葉の数々」が「初めてできた先輩」から浴びせかけられた。そして「罵られ、殴られる」こともあった。学校では、ほかの学校のヤンキーたちが「ただ俺の肌の色だけを見て喧嘩をうってくる日々」が続き、少年野球では「外人いるぞ、黒人だ」という言葉によって「心」が「壊されていった」。高校野球あたりからはOB会で「外人なんて高校野球で使うんじゃない」「甲子園には黒人はでるな」といった容赦のない言葉が「耳に入ってくる」。

彼は、こうした嘲笑と暴力と他者化の経験についてこう述べる。「正直、もう俺の人生にはつきものだから慣れたよ」。そして、上記の投稿に続いて、彼が投稿したのは「#BlackLivesMatter」であった。Twitterの仕様(アーキテクチャ)によって、そのあとには三色のさまざまな肌色を想起させる絵文字が付与されている。

オコエ瑠偉選手のTwitterより
 

現在進行形で、アメリカ社会を中心にグローバルに展開しつつあるBlack Lives Matterはしばしば、「黒人の命も大事だ」と翻訳される。だが、このニュアンスを正確に翻訳することは難しい。

「自由の国・アメリカ」において、約400年間にわたって、「黒人」と呼ばれる人々が社会的・経済的・政治的な抑圧体制によって、不平等と不公正のなかで日常生活を送るほかなく、しかも、その抑圧体制が今もなお公然と維持されていること。

すべての命が尊重される社会であるべきであるのに、そして、新型肺炎の感染リスクがあろうとも、Black Lives Matterだと声を上げ、街路に繰り出さねばならない問題状況が眼前にあること。

命と生活を守るはずの警察をはじめとする公権力においてさえ制度的人種差別がはびこり、警察の命令に従おうとも、警察の手から逃れようと試みても、命を奪われることがあること。

この命と生活をめぐる社会変革のための抗議や蜂起さえ、権力を持つ側/マジョリティ側の言葉遣いにほかならない暴動(riot)によって表現されてしまうこと。

「すべての命が大事 ALL Lives Matter」という当たり前のことを実行できなかった社会から、よりによって「Black Lives MatterではなくALL Lives Matterだろう」などと倒錯した主張を浴びせかけられること。

コロナ感染拡大リスクがあろうとも、それでもなお街路に出なければならない危機的状況への理解を欠いたマジョリティこそが、抑圧体制を維持しているのだということ。

オコエ瑠偉選手は、こうした危機的状況のなかで発されるBlack Lives Matterのハッシュタグを自身の投稿に付してなお、冒頭のように述べたのだった。その意味を考えたい。再掲する。

「メディアがこうやって勝手に差別とかいうけど、日本人一部にとって差別って言葉自体刺激的だし、これが差別なのか俺でもわからないから俺は使わない。」
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