ぼくの祖母はとてもやさしく、人当たりもよかった。明るくて楽しい人だと近所でも有名で、友人も多かった。ぼくはそんな祖母が自慢で、大好きだった。

けれど、ひとたび宗教が絡むと、豹変する人でもあった。途端に攻撃的になり、自分の主張を絶対に曲げない。きっとそれが祖母の正義であり、幸せになるための唯一の手段だったのだろう。それでも、どうしてもいまだに受け入れられないことがある。それは、ぼくのトラウマにもなる出来事だった。

宗教三世のライター・五十嵐大さんによる連載「祖母の宗教とぼく」。五十嵐さんの母を出産後、祖母は、町でも熱心に布教活動をするある宗教の信者になった。五十嵐さんも集会や布教活動に加わるが、それにより友人を失うなど、悲しい体験が多くあり、徐々に疑問を抱くようになっていく。祈ればすべて救われるのは本当なのか。そうではないのではないか――連載8回目の今回は、それでも疑問を口にできなくなった決定的な、そして悲しい体験について伝えていただく。
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泣き虫なぼくを慰めてくれた、
やさしい祖母

連載の第2回でも書いた通り、ぼくの祖父は非常に乱暴な人だった。口より先に手が出るタイプで、若い頃にはヤクザの世界に足を踏み入れていた。左腕には大蛇が巻き付いた鬼婆の入れ墨が彫られていて、一緒に温泉に行けば、蜘蛛の子を散らすように周囲から人がいなくなってしまう。誰からも怖がられる人。それが祖父のイメージで、孫であるぼく自身も彼を恐れていた。

そんな祖父とは対照的に、祖母は温厚でやさしい人だった。両親が障害者だということで嫌な目に遭い、泣いて帰ったぼくを見ては、すぐに頭を撫でてくれた。ぼくが涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔をしていると、祖母は決まって味噌おにぎりを作ってくれる。

やさしい祖母だった。大切なことさえ守っていれば Photo by iStock

「ほら、これ好きでしょう?」

やさしい言葉とともに差し出されるおにぎりはちょっとしょっぱくて、とても温かい。ゆっくり味わっていると、いつの間にか涙が止まってしまう。

「おばあちゃん、おいしかった」

泣き止んだぼくが照れくさそうに言うと、祖母は皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして笑った。

ぼくは、祖母が大好きだったのだ。

でも、そんな祖母が豹変するときがあった。それは「宗教を否定されたとき」だ。