2020.06.26
# 格差・貧困

「それ、気にしすぎだよ」男性が女性の訴えに口をはさむ前に考えたいこと

男性とフェミニズム
小手川 正二郎 プロフィール

他方、男性たちは女性たちが自分たちの日常とは異なる日常を生きている事実に向き合わされる。女性たちが生きている日常というのは、満員電車のなかでいつでも痴漢されかねなかったり、タクシーのなかで不意に屈辱的な言葉を投げつけられたり、寝る間もない育児と家事に一息入れようと立ち寄ったカフェで「主婦は楽だな」と蔑まれたりするような日常である。

しかも、そうした「異常な日常」に怒りや悲しみを抱いて、不満や愚痴をこぼすと、事情を知らないはずの男性たちから「大げさだ」とか「怒りっぽい」と言われてしまう日常でもあるのだ(チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳、筑摩書房、2018年)は、女性が生きる「異常な日常」を淡々と描いている)。

 

男性が言いがち「客観的に考えると…」の罠

性差や人種を主題とした拙著『現実を解きほぐすための哲学』(トランスビュー、2020年)で私は、男性が自分たちの視野からこぼれ落ちる「現実」を見る目を養うのにフェミニズムが有用かつ必要であり、男性たちが「現実」に向き合うためには「口をはさまずに」女性や性的マイノリティの人々の声に耳を傾けねばならないと論じた。

というのも、男性たちは往々にして、女性たちの感情や訴えに接した際、「気にしすぎだよ」とか「でも客観的に考えると…」などと口をはさんで、彼女たちが生きている現実に向き合おうとしないからだ。

恥ずかしいことだが、私自身、こうした態度を知らぬ間にとってしまうことがある。以前、研究者である妻が、知り合いの男性研究者から心ない言葉を投げかけられショックを受けていたときに、妻を慰めようと「〇〇さんは、そんなつもりで言ったわけじゃないと思うよ」と言ってしまった。

そのとき私は、自分がその場に居合わせたわけでもなく、会話の文脈も知らないのに、当事者である妻よりも「客観的な立場」に立ったつもりになって、男性の肩をもってしまい、妻の感情の方を「主観的」なものだと断じてしまったのだ。

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