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マインドフルネス瞑想で、旅するように日々を生きる

瞑想の脳科学研究から見えてきたこと

旅先で感じる「非日常」のモード

1998年、まだインターネットやスマートフォンが普及していなかった時代に、3ヵ月かけて中国からタイまで旅をして以来、僕は旅に夢中になりました。それから20年以上の間、時間ができると旅に出るようになり、旅から様々なことを学んできました。

大学を卒業してからは、医療機器メーカーで経営企画管理の仕事をしていたのですが、休みのたびに旅に出ては、エジプトの砂浜でただぼーっとしたり、メキシコの山やペルーのアマゾンに住むシャーマンに会いに行ったり、インドのアシュラムでヨガの修行をしたり、京都でヴィパッサナー瞑想の10日間リトリートに参加したりしている間に、自分がやりたいことややるべきことが明確になっていきました。

今では、様々な縁がつながって、京都大学で瞑想の認知神経科学の研究に取り組んでいます。

会社で働いていた当時、旅に出ると、太陽1個沈むのを見て感動していました。旅から帰り、会社と家の往復の日々が始まると、太陽が沈むことすら忘れてしまっていました。いつからか「旅をしているときのモードで日常生活を生きられないだろうか」と考えていました。

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そもそもなぜ、旅では「非日常」のモードになるのでしょうか? 様々な理由が考えられますが、そのうちの1つは、自分の周りから慣れ親しんだ仕組みや価値観が減っていくからなのだと思います。

 

日常生活は自動操縦モード

私たちは普段、様々な仕組みや価値観に囲まれ、それらを利用しながら暮らしています。例えば、経済や電気工学や情報通信技術のことをわかっていなくても、スマートフォンを自動改札機にかざして電車に乗り込むだけで遠くまで素早く移動することができます。

あるいは、特定のブランドのカバンを、本当にそれが素敵かどうかをわかっていなくても、手に持って歩くだけで自分がおしゃれになった気になれますし、周りの人も自分のことをおしゃれだと思ってくれます。

もし、朝起きてから家を出るまでの間、1つ1つのことやものをきちんとわかろうとしていたら、いつまでたっても家を出られなくなるでしょう。私たちは、自分の周りにある様々な仕組みや価値観に慣れ親しむことで、いちいち立ちどまって、その瞬間その場所で起きている自分の外側の出来事やそれによって生じる内側の経験に注意をとどめることなく日常生活を過ごすことができるのです。そのような自動操縦モードは、日常生活を効果的・効率的に過ごすことを支えてくれているのですが、一方で日常生活が知らない間に過ぎていくことの原因にもなっています。

ところが旅に出ると、例えばインドに行くと、あっというまに自分の知らない仕組みや価値観に取り囲まれます。僕の場合、電車の切符を買うだけでも様々な困難に直面したことがありました。あるいは、駅で目を閉じて座っていたら膝を叩かれ、目を開けると、物乞いの女の子が僕の膝におでこをぶつけながら手を差し出していることがありました。

そのような旅の中で、自分の中にある「今ここ」にとどまるためのスイッチが1つ1つONになっていき、自動操縦モードからマニュアルモードに切り替わっていくのを感じました。そして、そのようなモードだからこそ、ふと目の前で沈んでいく太陽を見た時に、その出来事のど真ん中にとどまり、そこから生じる感覚や感情や思考といった経験をすみずみまであじわうことができたのだと思います。