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ユーモアまじりにこの世を憂う…夏目漱石の「ネガティブ名言」10

「素顔の漱石」の苦しみが垣間見える
世の中に名言集は数多くあれど、新刊『文豪たちの憂鬱語録』(豊岡昭彦、高見澤秀 編著)はそれらとは一線を画す一冊だ。夏目漱石や芥川龍之介らが著作で綴った「憂鬱」「絶望」「悲哀」などに満ちた言葉をまとめた本書は、歴史に名を残す文豪たちにも、傷つき苦しんだ一面があることを想像させる。ここでは神経症、胃潰瘍、痔、糖尿病、リウマチなど数々の病に苦しめられた、文豪・夏目漱石ならぬ、人間・夏目金之助の「ネガティブ名言」をお届けしよう。

病に苦しんだ漱石の生涯

夏目漱石の本名は夏目金之助と言う。夏目家は江戸の名主だったが、明治維新の混乱期にあって養子に出されたり、天然痘を発症して顔にあばたが残ってしまうなど、子供時代の気苦労は多かった。幼少期から頭がよく、12歳で府立一中(現都立日比谷高校)に入学。

1884年、大学予備門にも合格し、将来の友となる正岡子規と出会う。苦学の末、帝国大学英文科に合格。が、このころから近親者が相次いで亡くなったことも影響してか、厭世主義となり、神経衰弱に陥ってしまう。

夏目漱石(小川一真撮影)

英語の成績が抜群によかった漱石は、1893年に帝大を卒業すると、高等師範学校で英語教師の職を得る。1896年、中根重一の長女・鏡子と結婚する。なお、現在では「ヒステリックな悪妻」として知られる鏡子だが、逆に漱石も神経症の悪化により、今でいう「ドメスティック・バイオレンスの常習犯」であった。似た者同士であったとも言える。

当時の文部省からイギリス留学を命じられ、ロンドンに暮らすようになると、ますます神経症が悪化。1903年の帰国後は、東京帝国大学と第一高校の英語講師となるが、帝大の学生たちからは前任者だった小泉八雲の留任運動を起こされ、一高では漱石が叱責した生徒が数日後に華厳の滝で入水自殺を果たすなどしたため、神経衰弱の傾向がピークに達する。

その症状を和らげる気分転換のために書いた処女作が『吾輩は猫である』だった。37歳の遅いデビューを果たすと、その後の成功により、1907年、一切の教職を辞して本格的に職業作家となり、多くの門弟を取りつつ、代表作を次々と発表。

 

一方、相変わらず神経症にも悩まされ、さらに胃痛から胃潰瘍となってしまう。以後、痔、糖尿病、ノイローゼ、リウマチと、漱石は複数の病気につきまとわれることとなる。病苦から漱石を解放したのは、1916年、胃潰瘍による自身の死であった。49歳。

多くの名作が今日でも語り継がれる漱石だが、作家生活は10年程度だ。そして、洒脱でユーモアに満ちている漱石の「厭世名言」の裏には、作家生活の全期間にわたって病気で苦しめられていた夏目金之助がいたのである。本記事では10の名言を紹介するが、そのうちの幾つかは、文豪としての漱石ではなく、人間としての金之助の肉声かもしれない。