なぜ人は「他人にレッテルを貼る」のか? 具体⇔抽象で解く人間関係

『問題発見力を鍛える』vol.19
細谷 功 プロフィール

このように自分の良く知っている領域ではものごとを細分化して=具体的にとらえるのに対して、自分の良く知らない領域では大ぐくりにして=抽象的にとらえるのが私たちの癖です。逆に言えば、専門家というのは(膨大な知識があるために)自分の専門領域を極めて細分化して一般の人よりもはるかに具体的にとらえています。

海外のことをろくによく知らない人は安易に「日本人と外国人」という対立構図で語ってしまいますが、海外を知れば知るほど「アジアとヨーロッパとアメリカの人では全く違う」となるでしょうし、「アジア通」からすれば東アジアと東南アジアの人を一緒にするな・・・という話がさらに国→地域→・・・と細かくつづいていくことになるでしょう。

 

自分のことは自分が一番よく分かっている

このような構図を先の「自分と他人」に当てはめてみれば、なぜ先のような認知の癖が発生するのかが説明できるでしょう。

自分のことと他人のこと、どちらの情報量が多いのかと考えてみれば、これは文字通り「四六時中一緒にいる」自分と「たまにしか会わない」(あるいは会ったことすらない)他人とを比べているわけですから自明と言えます。

したがって、私たちはSNSの場等で、あまりに簡単に他人のやっていることにレッテルを貼ったり一般論でコメントしたりしてしまいますが、やられている方からすれば、「ろくに詳細な事情も分からない癖に一般論で片付けるな」と感じることになります。詳細な事情というのは大抵の場合「理屈ではわかっているけど障害となっている制約条件」(予算や時間が不足しているといったもの)です。

要は他人が言ってくる正論というのは大抵の場合その当人は「そんなことわかってるけどいろんな事情があってできないんだよ」の類ばかりなのです。当事者というのは大抵の場合、無責任にコメントしてくる第三者よりは何十倍もそのことを考えている人であって、そんな正論は「百年前から承知している」のです。

これが私たちの認知の癖に「具体と抽象」の側面が加わることによって生じるギャップ=問題の発生メカニズムです。このメカニズムを理解していれば、無暗に他人にレッテルを貼ったり、正論で正したりする前に立ち止まって相手の事情を考えてみるといった形で無用の軋轢を減らすことも可能になるでしょう。