日本一周、それはすべてのものを失わせるための旅だった

失われた小説をもとめて【最終回】
小説デビュー後、筆が動かなくなり、車で日本最北端を目指す旅に出た藤田祥平さん。大阪を出発し、北海道、東北を経由し、東京へ。旅の結末とは?

【第一回:新人小説家は期待に押しつぶされ、大阪から日本最北端へと逃げ出した】

水戸から三軒茶屋へ

出発前、ある友人に、私の旅の話をした。すると彼は言った、それではこの日にきみが東京に来るのなら、渋谷で行われるジョン・ホプキンスの演奏を、一緒に観にいくことができるはずだ。

私はその音楽が好きだったので、チケットをとってもらうことにした。話が膨らんで、きみの車に乗せてもらって京都まで帰られるなら楽しそうだ、とかれは言った。また私にしても日本を一周して帰ってくる旅程の最後だから、かれに運転を代わってもらえるなら助かるだろうと思った。

かれは東京を旅行するあいだ、杉並区のどこかにある、銭湯を経営している友達の家に泊めてもらうつもりだった。私にしても宿泊代が浮くのは助かるから、そこに同行させてもらえればありがたいと言った。しかし、そうすると車を停めるところに困る。東京の駐車場は高い。するとかれはインターネットを介したなんらかのサービスをもちいて、一般のひとが使用権をもっているが遊んでいる駐車場を借りればよい、そうすればかなり安価で済むと言った。私にはよくわからなかったが、とにかくかれに駐車場のことを任せた。

そのために私は水戸から国道六号線を南下して東京に入り、中心部のほとんどを通過して三軒茶屋まで行くはめになった。高速道路というくらいだから速いのだろうと思って首都高に乗ったが、結局は天地のはざまで神の審問を順番待ちするはめになった。三軒茶屋にたどり着いたころには、午後をずいぶんまわっていた。山をむりやり削り取って住宅街にしたせいで、細く曲がりくねっていて走りにくい道を抜け、百万回生まれかわれば住んだかもしれない豪邸の駐車場の右端に、おそるおそる車を停めた。なにかの間違いではないかと思ったが、友人から送られてきた写真はまちがいなくここだった。私は後ろ手にドアを閉め、鍵をかけた。

 

銀座と東新宿で商談

それから私は電車で銀座に出て商談をした。私はよくわからないビルの高いところまで昇っていき、誰かとよくわからない話をした。理由はまったく不明だが、話しているうちに、私は腹を立てはじめた。一面がガラス張りの応接室から見えるみごとな東京の景色さえ、気に入らなくなってきた。商談が終わって雑談になり、私は車で日本を一周してきたことを話した。

かれらはほとんど感心を示さなかったが、東北のことに話が及ぶと、わかったような顔、あるいは何一つわからないことを悔やむような顔、神妙な顔、あるいはそのすべてであるような顔で「ああ」と言った。「そんなことになっているんですね」と言った。「なるほど」と言った。

そして彼らはよくわからないビルの高いところにあるきれいな応接室で、被災地の現況や政治にかんする批評めいた議論をはじめた。私はしばらく呆然としていたが、時計を見るふりをして、済みません、もう行かなければなりませんと言った。かれらは実ににこやかに私をエレベーターまで送り、それじゃあ、藤田さん、ぜひぜひよろしくお願いします、と言った。

何がだ? と私は思った。