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子どもは「死んでしまいたい」と悩み、国は「問題がなかった」と断言した

日本の「人種差別」その実態と歴史
世界中で「#BlackLivesMatter」の運動や抗議のデモが広がっている一方、日本では「人種差別はない」「人種差別は見えづらい」といった言葉を見聞きする。その背景には、差別が「ないこと」にされる社会構造がある。私たちが差別と無関係ではいられない、その理由とは――。

〈前編:なぜ日本の「人種差別」は“ないこと”にされるのか、その社会構造〉

人種差別が不可視化されてきた歴史

私はこれまで戦後の「混血児問題」をテーマの一つとして研究を行ってきた。

日本では戦後、米兵と日本の女性との間に多くの子どもたちが出生し、その子どもたちが小学校入学直前の年齢に差し掛かる時期になると、かれらを日本に受け入れるのか/排除するのかという論争が巻き起こった。その議論の中心を担ったのが、厚生省(当時)の中央児童福祉審議会である。

1952年7月9日、厚生省の第25回中央児童福祉審議会の議事録を見ると、「混血児」達を海外へと移住させることができるかどうかという話題になったことが記されている。その際、参加する委員たちによって以下のような会話がなされたことが記録されている。

「よく電車の中で白人(の混血児)を自慢そうにつれている人があるが、こうした子供については問題はないと思うし、実際問題として多くの場合は黒人(の混血児)にある」
「白人の(混血児の)子供は可愛いい(ママ)が、黒人(混血児)の子供は意地が悪く、非常に強い」
「黒人は必ずいつか狂暴性を発揮するという人があるが、同化との関係で若干問題があろう」
「黒人(の混血児)は、あちらに還すというようなことはないのですか」
「(施設にいる混血児たちは)もし本国に還ることができるならばそれに越したことはない」

街中で遺棄されたり、片親家庭で貧困で暮らしていたり、子どもの頃から深刻な差別を経験していた当時の「混血児」たちに関する、社会的課題の解決を担うべく議論された厚生省の審議会で発せられたのは、あまりにも露骨な「黒人」に対する人種差別発言であった。

「白人」を優位に置き、「黒人(の混血児)」を非常に偏った人種差別的な認識で見つめ、さらに、かれらを積極的に日本から国外へ追いやるという趣旨の差別的な発言をした委員がいたことがわかる。

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アメリカでは人種差別的なジム・クロウ法が存在していた時代。日本にも「黒人」を劣位とみなすような深刻な人種差別意識がすでに、政府の審議会でも堂々と語られるほど、人口に膾炙してしまっていることがわかる。

審議会の議論の末、日本は「混血児」たちの「同化」という選択をすることになるが、差別の意識は決して消えたわけではなかった。