「白人だけの水泳区域」で泳いで殺された黒人少年

1919年の夏、全米の10を超える都市で人種差別に抗議する暴動が発生した。この引き金となったのは、1919年7月27日、シカゴで十代の黒人ユージン・ウイリアムス君が殺害された事件である※8。当時、ミシガン湖には「白人だけの水泳区域」が設定されていたのだが、この区域で彼はあえて泳いだ。これを見た白人が彼に石を投げつけ殺害した。彼は、シカゴにおける非公式の分離政策を公然と無視したために無残な死を遂げたのである。

犯人たちは逮捕されたのか? 警察は、ウイリアムス君を殺害した犯人たちを逮捕することを拒否した。これが触媒となって1週間にわたる激しい暴動が発生した。この「人種暴動」は8月に終わった。この結果、15人の白人と23人の黒人が殺害され、500人以上が負傷し、数千人の黒人が家を失った。 

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公民権運動が勢いを増すにつれ、活動家たちは、黒人の努力を妨げようとする白人と協働する警察から攻撃された。どう攻撃されたのか? 黒人作家ラングストン・ヒューズ氏は、これを「法律は黒人を攻撃するために使われる」と表現し、1926年、こう書いた※9。「投票権はなく、警察は残酷で、市民はそんなカースト・デモクラシーをあるべき姿だと思っている」。

1963年のバーミンガム運動で白人警官は、子供たちや無関係の見物人に対しても消防用の高圧放水と警察犬を用いた。1965年の「血の日曜日事件」では、セルマからモントゴメリーまで行進したデモ隊を白人警官は警棒、催涙ガス、ムチなどを使い暴力的に弾圧した。白人警官の黒人活動家たちへの攻撃は、アメリカの警察のもつ人種差別が根源的なものであること、そして彼らが男性、女性、そして子供たちをどのように処遇するかを明らかにしたものである。

1960年代のミネアポリスでもそうだった。フロイド氏の死への対応における最近の暴動と同じように、1967年の夏、全米で160もの暴動が発生し、黒人住民たちは警察と衝突した。これによって家が失われ、ビジネスが破壊された。黒人住民と警察との緊張はさらに高まった。