新たな手段、リンチ

奴隷制度があったころ、奴隷を取り締まるために白人の作った監視グループによって黒人の自由は奪われ、黒人の人生は大幅に制限されていた。奴隷は南北戦争(1861-65)が終わって解放されたのではなかったか? そうはいかなかった。南北戦争が終わった直後に、黒人の権利と移動を制限する黒人取締まり法(ブラック・コード)が発令された※6

この法律は、当時、組織化されたばかりの警察に白人の監視グループによる暴力活動を「法律と秩序」という美名のもとに正当化したのである。黒人は奴隷から解放されたはずだったが、多くの都市で警官による取り締まりの標的とされた。黒人は白人にくらべ圧倒的に高い確率で逮捕された。黒人の犯罪率が高いのは、このためである。 

20世紀のはじめになると、法律に加え、リンチ(法律にもとづかず執行される、殴る、蹴る、殺すなどの私的な制裁)が黒人の生命と活動をコントロールするもうひとつの手段として使われだした。人種差別主義者の警官による暴力は批判されるどころか、むしろ奨励された。白人暴徒による暴力は日常化した。

1895年、全米黒人地位向上協会の共同設立者のひとりで、反リンチ運動の活動家アイダ・ウェルズ・バーネット氏は、白人による黒人へのリンチのデータを集計した「Red Record」という報告書で、こう述べている※7。「白人の黒人へのリンチはあらかじめ計画されていただけでなく、地元警察の全面的な支持をえていた」。そればかりか、警官みずから白人暴徒による黒人男女への襲撃に参加することさえあった。 

これ以外にも警察は、白人暴徒が犯した暴力への報いを受けないようにもみ消すことで、彼らの利益を守った。この結果、全米で数千人の黒人がリンチにあったにもかかわらず、加害者は処罰を免れた。ウェルズ・バーネット氏たちは、これを警察の暴力と呼んだが、暴力は止むことはなかった。