『陽の鳥』 著者:樹林伸

希代のヒットメーカーが挑むメディカル・エンタテインメントを連続公開 VOL.2

 しかし、それだけのことなら毎日上層階を見上げてはつい感じてしまう惨めさに耐えられず、とっくに引っ越していたに違いない。数矢がこのマンションにこだわっている一番の理由は、孤独を癒してくれる『友人』の存在だった。

「またコンビニ?」

 いつものようにコンビニで朝食を調達して戻ってくると、鍵のかかっていないドアから勝手に部屋に上がり込んでいたその小さな友人が、リビングのドアの向こうからいたずらそうなクリクリの眼を向けて笑っていた。

 沖田有基。数矢がこの世でただひとり本当の意味で尊敬している先輩研究者であり、関わっているプロジェクトのリーダーである、沖田森彦のひとり息子だった。「たまには自分で朝食くらい作ればいいのに。でなきゃ、早く結婚するとか」

 こましゃくれた言い方だが、そこがまた可愛い。数矢が引っ越してきた当時は、ぶかぶかだった私立小学校の制服が、三年生になってからはだいぶ板についてきている。 

 有基は、勝手に冷蔵庫から出した紙パック入りのオレンジジュースを、食器棚のコップを背伸びして取って注ぎながら、
「このジュース、もうそろそろ飲みきっちゃったほうがいいんじゃない?」 
などと勝手なことを言っている。 

 数矢は笑って、
「そうだな。じゃあ今度はオレンジじゃなくてグレープフルーツにしよう」 
と、有基が底のほうにほんの少しだけ残したジュースを紙パックのまま飲み干した。

「えーっ、グレープフルーツはやめなよ」
「どうして? 美味しいじゃないか」
「だってあんまり甘くないんだもん」
「わかったわかった。じゃあ、フルーツミックスならいいだろう?」
「うん。許す」
「こいつめ」

 数矢は、髪を短く刈った有基の頭を軽く小突いた。

 本当のことを言えば、数矢は自宅では甘みのない野菜ジュースとコーヒーしか飲まない。毎朝、登校する前にやってきては勝手に冷蔵庫を開ける有基のために、父親である沖田森彦の方針でなかなか飲ませてもらえないという甘いフルーツジュースを買っておいてあるのだ。