近年のアメリカではBlackの代わりにAfrican Americanという表現を使うことが多い。これは先住民であるIndianをNative American、アジア系をAsian Americanとすることとも呼応しているが、何よりもBlackと呼ばれる多くの人びとの祖先が、アフリカ大陸から奴隷として連れて来られたという強い意識を示している。
つまり「Black/African American/黒人」とは、自身の意思とは無関係にアフリカで拉致され、財産として売り飛ばされ、幾世代にもわたりアメリカで強制労働に従事させられた人間を先祖に持つことを意味する(もちろん、近年、アフリカから自ら移住した人びともいるが、圧倒的多数は奴隷の末裔である)。奴隷制度が撤廃された後も、黒人はアメリカ社会の激しい人種隔離政策のもとで搾取され続けた。
アメリカにおいて黒人であるのは、この残酷な歴史の当事者としてのアイデンティを持つことである。それは今日のアメリカの富と繁栄が、黒人に対する途方もない不正義のもとに成立したものであるという事実を忘れないことでもある。
さらにその富と繁栄の恩恵が、今でも自分たちには行き渡らないという問題を常に意識することでもある。黒人の労働こそがアメリカ社会を作り上げてきたにもかかわらず、社会的に「犯罪者」「危険」「無学」「貧乏」などというレッテルを貼られ続ける不条理に憤りを抱くことである。
このように、「黒人」は定義が非常に曖昧な言葉であるが、その一方で、「黒人」であることは、アメリカ社会では極めて具体的な現実と意識を伴うものでもある。