物理的にありえない…江川卓が「本物の怪物」になった1981年の記憶

それでも沢村賞は獲れなかった
週刊現代 プロフィール

西本は江川より1歳年下だが、高校を出てすぐプロ入りしたため、すでに4年目だった。甲子園出場経験もなく、ドラフト外から這い上がってきた「雑草」は、球団が将来を嘱望する「エリート」江川のことを人一倍意識していた。

「とにかく、すべてにおいて江川さんだけには負けたくなかった。伊東キャンプ中は、隣同士で投げているんだけど、彼より先には投球をやめないと決めていました。江川さんもこっちをチラチラ見ていて、僕がやめないから投げ続ける。お互い球数がどんどん増えていって、最後は300球を超えた。捕手からは『いつまで続けるのか』と怒られました」(西本)

 

一歩間違えれば故障しかねないところまで体をいじめ抜くスパルタ式のキャンプは、才能だけで投げていた江川を、本物の怪物に変えた。

迎えた'80年シーズン、江川は16勝12敗、219奪三振という成績で、最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得、一躍、巨人のエースの座に躍り出た。

翌'81年の江川は、4月7日の初登板・大洋戦から勝ちまくり、オールスターの時点ですでに12勝を挙げていた。

「あの年の江川? まったく打てんかったな」

元阪神の岡田彰布は、こう言って苦笑いする。

'81年、阪神は3番・真弓明信、4番・掛布雅之、5番・岡田と強力なクリーンナップを揃えていたが、対江川の試合は8試合で7敗と、まったく相手にされなかった。