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物理的にありえない…江川卓が「本物の怪物」になった1981年の記憶

それでも沢村賞は獲れなかった

高校時代のエピソードばかりが伝説になっているが、怪物はプロ入りしてからも存分にその力を見せつけた。'80年代初頭のプロ野球、マウンドで最も輝いていたのは、間違いなくこの男だった。

大エースの記録

「野球人生で自分のボールが『速い』と感じた時期が3回あります。最初が高校2年の夏、2度目が大学4年、3度目がプロに入って20勝をあげた1981年です」

かつて、江川卓(65歳)は、スポーツジャーナリスト・二宮清純のインタビューを受けて、こう語っている。

'81年、江川の成績は20勝6敗、221奪三振、防御率2・29。最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、最多完封のいわゆる「投手5冠」を手中に収めている。

これは、歴代でもスタルヒン(元巨人)、杉下茂(元中日)、杉浦忠(元南海)ら、わずか7人の大エースたちしか達成していない金字塔だ。

 

ところが、この年の江川は、心から熱望していた栄冠を手にすることができなかった。1年で最も優れた成績を残した「先発完投型エース」に与えられる、沢村賞だ。

「もの凄く悔しかったですよ。タイトルはすべて一つずつ、かならず獲ろうと思ってプロ入りしましたから。沢村賞だけは獲れなかったですからね」

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後年、テレビ番組で'81年を振り返った江川は、飄々としたイメージに似合わぬ、怒気をはらんだ口調で言い放った。

怪物が、自ら「もっとも速かった」と断言し、プロ野球人生で唯一の20勝を挙げた年のピッチングは、いかなるものだったのか。そして、圧倒的な成績を残しながら、沢村賞を逃したのは、なぜだったのか―。

話は、巨人が「空白の一日」を経て、江川獲得を決めた'79年に遡る。