聖徳太子の言葉
「和を以て尊しとなす」の意味

義務教育をとても不真面目な態度で受けてしまったために、歴史にとても疎い私です。そんな私でも知っている「和を以て貴しとなす」という言葉。日本の社会で長い間「格言」「名言」のポジションにいた言葉だと思いますが、昨今、この言葉が逆に「だから日本はダメなんだ」という文脈で用いられることが増えてきたように感じます。

「和を重視して自分の意見を言わず、様子見ばかりするダメな日本人」みたいなイメージが、海外の方でも持たれているようです。

私の周りの保護者の集団を見ていても、9割くらいは「様子見・沈黙」です。これには、2回目の記事にてご紹介した「子どもを人質に取られているような状況で沈黙しやすい心理構造が保護者にはある」で説明した理由もあるので、一概に「主体性がない」とは言えませんが、「じゃ、学校以外の組織に対しては、主体性を発揮している人たちですか?」と考えると、そうではなさそうです。

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実は、聖徳太子が言ったとされる「和を以て貴しとなす」の真意は、皆さんがイメージされていることとはちょっと違うみたいです。

本当の意味は、

“おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。”
(出典:『日本の名著 聖徳太子』中央公論社)

ということだそうです。

これって、まさに私が『デジタル手書きお手紙』で学校と建設的な対話をしながら、学校と保護者が協力して、より良い方向に改善していったエピソードと一致するなと勝手に自負しておりますが、「むやみに非難・反抗するのではなく、建設的な対話をしていくことが和だ」ということが、今、私自身の中ですごくしっくりきております。

「おたがいの心が和らいで協力……」って……。これ、「心理的安全性」のことですよね? 歴史に疎い私がいうのも大変恐縮ですが、聖徳太子ってやっぱりすごい! google社が多額の費用をかけて発見したチームの生産性を高めるための重要な条件「心理的安全性」を、遥か以前に発見していらっしゃったんですね。

聖徳太子さん、伊達に歴代ずっとお札になっていなかった…Photo by iStock

聖徳太子といえば、同時にたくさんの人の話が聞けるという人間離れした能力を持っていたという話を思い出します。もしかすると、本当にそういう能力があったわけではなくて、たくさんのステークホルダーたちに囲まれながらも物事を上手に進めていく「建設的な対話スキル」が高かったから、同時にたくさん話が聞けるって思われたのかもしれないですね。