「個人情報」という免罪符。
学校のICT活用が進まなかった理由

私が住む目黒区ですら、このwithコロナの中で未だに「体調不良の際は連絡帳をお友達に渡してください。難しい場合は学校の大代表に電話してください」という運用フローになっているんですよね。大代表の電話は回線が1本しかないので、朝の時間は通話中で繋がらないし、欠席の連絡を1本入れるだけでもストレスだという話を、他自治体の保護者からもよく聞いております。

今どき、学校外の社会の中では、メールやLINEが当たり前なのに、どうして学校という組織の中では、昭和から時間が止まっているのか? すごく疑問に感じました。「メール連絡じゃダメなんですか?」と聞くと、個人情報が云々と言われて一蹴されてしまうと聞きます。

私自身も、このコロナ休校中に小学1年生になった「小学生になれていない小学生」は、クラスのお友達の名前も顔もわからない状態で休校期間を過ごし、「学校となどんなところなのか」も知らないままに、宿題だけが出されるのはよろしくないのではないかと思い、その件を担任の先生に電話で相談している最中に、「同じクラスの子どもの顔写真と名前をメール等で集めて、シェアしたらどうでしょうか?」と提案してみたところ、食い気味に「個人情報の問題でそれは絶対にできません」と言われてしまいました。

私はその食い気味に発言された先生の様子を見て、公立学校の中で「個人情報」というキーワードが、いわば『免罪符』のような感じになってしまっているのではないかと感じました。

その免罪符を出せば、その場の空気が「だから仕方がない」となり、そこで思考が停止しているのではないか。そうやって思考停止を繰り返してきた結果、日本の公教育のICT化が、世界の先進国の中でも類を見ないほどに遅れてしまったのではないかと感じるのです。

実際に、文科省が掲げていたGIGAスクール構想(=児童生徒に1人1台の端末を配布して教育のICT活用を進める)でも、その端末を児童生徒の自宅に持ち帰ってOKとするかどうかについては当初は言及されておらず、すでに1人1台が配布されていた自治体であっても、コロナ休校期間中にその端末を利用して家庭学習を進めるということができなかったという話も聞きます。

それでは、タブレットは「高級な文鎮(ぶんちん)」のようなもので、教育を本質的に発展させていくことにつながっていないんですよね。「高級な文鎮(ぶんちん)」にしてしまった理由は、学校や教育関係者の皆さんが、「個人情報」などの免罪符で思考停止を繰り返していたからではないかと、私は本当に思っています。

文鎮にするにはタブレットやPCは高価すぎます。というか、使い方間違ってます Photo by iStock