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暗すぎて、逆に笑える…?太宰治の「ネガティブ名言」10

文豪界随一の「絶望名人」が残した言葉
世の中に名言集は数多くあれど、新刊『文豪たちの憂鬱語録』(豊岡 昭彦、高見澤 秀 編著)はそれらとは一線を画す一冊だ。夏目漱石や芥川龍之介らが著作で綴った「憂鬱」「絶望」「悲哀」などに満ちた言葉をまとめた本書は、歴史に名を残す文豪たちにも、傷つき苦しんだ一面があることを想像させる。
明日6月19日はくしくも太宰治の生誕を祝う「桜桃忌」。彼が残した「ネガティブ名言」を噛み締めてみてはいかがだろうか。あまりに暗すぎて、かえって苦笑の一つももれるかもしれない。

薬物中毒、芥川賞落選、心中事件…太宰治の絶望史

青森県で生を受けた太宰治の本名は津島修治。津島家は大地主であり、父も名士として知られていた。太宰は学校での成績も優秀で、弘前中学に進学。当時、旧制中学への進学率は5%程度である。家柄に恵まれたこともあるが、太宰少年はかなり頭がよかったのだ。

さらに、旧制弘前高校にまで進学。ここで文学に出会ってしまう。後年に師事する井伏鱒二や、逆に猛批判することになる志賀直哉を愛読。中でも太宰少年の心を捉えた作家は芥川龍之介であった。が、在学中に芥川が死去したことで、太宰は絶望への第一歩を踏み出す。

1946年、銀座のBAR「ルパン」にて(林忠彦撮影)ーウィキメディア・コモンズ

同人誌を発刊するなど、文士としての道を歩み始める一方、在学中には1回目の自殺未遂を起こしている。どうにか卒業し、1930年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。

上京後、講義についていけなくなると「左翼活動に傾倒して投獄される」「津島家を分家除籍される」「カフェーの女給・田部シメ子と心中事件を起こす(シメ子のみ死)」など、完全に絶望キャラと化す。1933年ごろから執筆活動を本格化させ、1935年には第1回芥川賞候補にまでなる。

だが同時に、このころ「新聞社の入社試験に落ちて自殺未遂」「腹膜炎の手術からパビナール中毒に」「芥川賞に落選して選考委員の川端康成に激怒」「妻が不倫したことから夫婦で心中未遂(後に離縁)」など、現在では広く知られる“太宰像”が、ほぼ完成する。

1938年の結婚を機に、文士としての活動が軌道に乗り始め、数々の名作を生む。太平
洋戦争中も旺盛な執筆を続け、疎開を経験するも、無事に終戦を迎えた。

帰京後、太田静子との再会(戦前から深い関係にあった)や山崎富栄との出会いを経て、既婚の既婚の身でありながらそれぞれと恋に落ちた。1948年、富栄と玉川上水に入水。38歳没。

 

あまりにも自己破滅的な一生を送った太宰だけに、絶望や憂鬱に満ちた名言の数々は他を圧倒している。現在では、SNSなどで「太宰暗すぎてウケる」などと呟かれているが、ここまで振り切ると、読み手にはむしろ生きる活力となっているようだ。

本書では100を超える太宰の「ネガティブ名言」を紹介しているが、この記事ではその中でも10の名言を紹介する。

こうした言葉は、多くの文豪が、少数の作品に固めていることが多い。そんな中、太宰は、多種多様な作品に多くのネガティブ名言を残しているということに驚かれるだろう。