6月5日に亡くなった拉致被害者横田めぐみさんの父・滋さん(2002年、Photo by gettyimages)

拉致問題から逃げ「安倍政権はいつ終わるのか?」と尋ねる北朝鮮の思惑

横田滋さんと日朝交渉の18年

横田滋さんの涙から18年

1977年に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親の横田滋さんが6月5日、87歳で亡くなった。とても温厚で人望の厚い方だった。日本政府関係者らも「滋さんと妻の早紀江さんご夫婦がいたからこそ、日本人拉致問題に対する世論の関心をつなぎとめることができた」と異口同音に語る。

2002年9月、小泉政権下で行われた初の日朝首脳会談で、北朝鮮は拉致の事実は認めたが、「横田めぐみさんは死亡した」と主張した。日本政府からその報告を聞き、滋さんが涙した記者会見から18年もの歳月が流れた。

その後、拉致被害者の家族の帰還はあったが、新しい拉致被害者の生存確認はないままだ。

この間、まったく動きがなかったわけではない。横田さん夫妻は2014年3月、モンゴルでめぐみさんの娘のキム・ウンギョンさんらと面会した。前年の2013年末ごろから、外務省の課長級や局長級による接触が続いていたなか、北朝鮮側が日朝関係を動かす試金石として提案した。

当時、横田さん夫妻は、ウンギョンさんらと面会することで、「めぐみさんは死亡した」とする北朝鮮の主張が既成事実化することを懸念していた。それでも面会に応じたのは、「日朝関係を何としても動かしたい」という安倍政権の説得を受け入れたからだという。

横田滋さん・早紀江さん夫妻(2006年、Photo by gettyimages)
 

実際、このモンゴルでの面会をきっかけに日朝協議は本格化した。14年5月にはストックホルム合意が実現した。北朝鮮は「拉致問題は解決済み」としてきた立場を変更し、「特別調査委員会」を設けて、拉致被害者を含む日本人行方不明者の全面的な調査を行うと約束。日本政府も独自制裁の一部を解除することで合意した。

当時の日本政府関係者らによれば、日本側は主に拉致問題対策本部の情報をもとに、「北朝鮮が拉致被害者のうち何人かを帰す準備をしている」と判断していた。関係者の一人は「事前の情報で日本政府が認定し、まだ帰国していない拉致被害者12人のうち、3人から5人が生存しているという情報があった」と証言する。北朝鮮は12人について公式には「8人死亡、4人未入国」という立場を取っていた。

一方で、事前に北朝鮮との間で具体的な名前を出して交渉するまでには至らず、帰国については日本側の「感触」にとどまっていた。外務省は、北朝鮮側の動きを「確実な情報とは言い切れない」として慎重な姿勢を示していたが、最終的に首相官邸の判断で交渉を進める方針を決めたという。