意見する子の親に「授業がやりにくいんです」

義務と権利といえば、今は二十歳の娘が小学4年生のときに廊下で給食を食べさせられたことを思い出す。

2時間目の授業。ひとりの男児を指して、担任が「君がクラスにいると、みんな迷惑だと思っているよ」と言った。娘はそこで「先生!」と挙手してから「なぜ、『みんなが迷惑だと思っている』ってわかるんですか? 私は迷惑だとは思っていません」。

すると、担任は顔を真っ赤にして「君は僕の揚げ足とりばかりして授業の邪魔になる。君はこのクラスにいないほうがいい」と言い、机ごと廊下に出るよう命じた。
廊下に出た娘は2時間目から5時間目まで廊下に滞在。途中で「なんで廊下にいるの?」と尋ねに来た他クラスの友達には苦笑いで対応し、勝手にトイレに行くなどし、本人いわく「自由に過ごした」らしい。その間、隣のクラスの担任である学年主任から「授業の邪魔をしてはいけない」と説教もされた。

先生に反論したら「授業の邪魔」なのだろうか Photo by iStock

放課後、娘は何食わぬ顔で帰宅。変わらぬ様子だったが、担任からの連絡で私はすべてを知ることになる。
「それは娘のほうが正しいと思う」と答えたら、「僕が授業しづらいんです」と何度も訴えてきた。「あなたの娘は何度も挙手をするし、反論する」と、自分が被害者だといわんばかりだった。

「子どもは先生の授業を成立させるために教室にいるのではない。自分の授業を成立させることばかりに心を奪われているのではないか。娘は先生と異なるかもしれないが、自分の意見をぶつけているだけ。聞いてあげるのが先生の役目じゃないのか」
すると、先生は「そんなこと、言われたことがない」と言ってシクシクと泣き始めた。

その先生は児童に「授業をおとなしく受ける義務」ばかりを要求し、子どもたちが自由に考え、発言する権利を認めていないように見えた。何のために学校があるのか。そもそもそこの設定が相反するため、いくら話しても通じない。

子どもの権利を認めることから
「児童を主役に」ができる

「君はクラスにいないほうがいい、って言われたんだって?」
担任との電話を終えた私が言うと、娘はぷぷっと吹き出し「ママが怒りまくるって思ってた」と言った。先生が発した言葉のナイフは、娘には1ミリも刺さっていなかった。それは本人が自分には主張する権利があると知っていたからだと思う。

当時、娘のクラスはほぼ学級崩壊のような状況だった。児童が騒ぐと隣の教室から学年主任が現れ「こらーっ!」と怒鳴る。その繰り返しだった。教師が子どもの義務ばかりにフォーカスし、なおかつ余裕をなくせば、さまざまトラブルが起きるのだ。
アフターコロナの学校が、かつての娘の教室と同じ状況にならないとも限らない。教室で咳込んだり、マスクや手洗いを忘れた子を責める。「三密になるから」と言って誰かを仲間外れにする。コロナをフックにしたいじめが起きるかもしれない。

「子どもを真ん中に」「児童を主役に」

よく聞く言葉だが、これは子どもの権利を認めることから始まるのではないか。さまざまな制約のなか、彼らの成長や学びをどうやって保証するのかを模索したい。

島沢優子さん連載「子育てアップデート~子どもを伸ばす親の条件」今までの記事はこちら