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「メディアスクラム防止」に本気で取り組まない新聞社への強い危機感

必要なのは「どう防ぐか」の具体策だ

載らなかったコメント

日本新聞協会が2020年6月11日付けで「メディアスクラム防止のための申し合わせ」という文書を出しました。私は内容について某新聞社にコメントを求められ、話をしました。しかし「掲載は見送る」とのことでした。上司が許可しなかったとのことです。記者の方は私の意見に理解を示し、他の識者を出せという上司の要求をはねつけて戦ってくれもしたようですが。

私の見解は、この文書について「『一定の評価もしつつ』将来的な課題への提言となるコメントが望ましい」という「社の方針」に合わなかったとのことです。しかし、メディアスクラムによる被害を軽減するために、日本のメディアが有効な手立てをほとんど編み出せないまま、ここまで来てしまった現状を考えると、とても「一定の評価」を与えられるようなものとは思えなかったのです。

新聞協会は2001年にも「集団的加熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解」という文書を出しています。両方にざっと目を通せば、それから20年近く経っているのに、議論がほとんど深まっていないと、読者の皆さんも思うことでしょう。使われている言葉の種類がほとんど同じで、まったく現実の取材の場面を想起させる具体的な語彙がないのです。

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「安全装置」がないメディア

何らかの事件に巻き込まれるなどして、誰もが予期せずにメディアによる取材の対象となる可能性があります。メディアの側が報道の過熱を制御する仕組みを設けられないということは、将来メディアスクラムの餌食になってしまう可能性がある、私たち全員にとって、安全装置がない不安な状態が続くということです。

さらに言えば、これまでにメディアスクラムの被害に遭ってしまった人たちに対し、加害者であるメディアが、その失敗を糧にして、それでも社会に役に立つための方策を考え続けるという、謝罪や「恩返し」の作業を真摯に行ってこなかったということでもあります。

本稿では、私が某紙の「ボツになったインタビュー」で指摘したことを明らかにし、またこのたびの顛末も明らかにすることで、メディアスクラムに関する問題意識を共有し、またその議論を進めるのを妨げてきた可能性もあるメインストリームのメディアの「常識」についても、一緒に考えてみたいと思います。