他人事ではない黒人差別抗議デモ、曖昧な「主語」をどう見るべきか

香港デモとの共通点と差異から考える
石井 大智 プロフィール

このような一つ一つの事件は個別に検証されるのではなく、「抗議者」や「警察」と言った大きな主語を構築する多くのストーリーの中のただ一つの話として扱われるようになる。

「警察」については指揮系統に従う組織体であり、このように大きな主語で語るのは一見合理的に思える。しかし、「警察」という主語で見る前にどの程度その暴力行為が組織的決定、もしくは個人的選択に基づくものなのかは検証が必要なケースもある。個人的選択に基づく暴力であるならば、警察という主語でまとめることには無理があるだろう。

一方、「抗議者」は多種多様な背景を持った人々であり、特定の組織に所属しているわけでもない。それにも関わらず、抗議者の一部が暴力的行為をしていることについて切り取り、それがどの程度の抗議者に広がっているのか言わずに抗議活動の正当性を否定するような言説は多く見られる。

〔PHOTO〕gettyimages
 

アメリカでも香港のような社会の分裂は生じるか

香港の場合、このような抗議活動についての言説の曖昧さは「黄色」(抗議者寄り)と「青色」(政府寄り)に色分けされる社会対立につながった。

その理由の一つが、実際は全く別のものについて話していても、同じ主語を使うことになり、相互理解が図れなくなったからと私は見ている。それは見ているメディアや普段コミュニケーションを取る世代の差異によって得ているストーリーが違うために起きている。

例えば、「抗議者」と言った時にある人にとっては暴力的抗議者が代表的なものとして思い浮かぶだろうし、ある人にとっては平和的な抗議者が代表的なものとして思い浮かぶだろう。

普段から見ているものが違うために、同じ言葉に全く違う印象を持っている。香港では今では自分と異なる「色」の人とは抗議活動についてそもそも話さず、そもそもお互いが何を見た上でどのような考えを持っているのか具体的にはわからないという事態が発生している。

編集部からのお知らせ!

関連記事