SPEED、DA PUMP…平成の音楽界に「沖縄の強い風」が吹いた本当の理由

二人のヒットメーカー【最終回】
田崎 健太 プロフィール

スタジオに着くと酔いが醒めた

各グループ、アルバムを年に一枚、シングル曲は三ヶ月に一枚発売している。その全てを平さんが直接ディレクションしていたのですか、と確認すると「はい」と頷いた。

「昼間は、作品の打合せです。作詞家、作曲家、プロデューサー、レコード会社の社員。ぼくは毎日、夜遅くまで複数のスタジオを回っているんです。ここの部分を前に出そうとか、ここを変えろとか、録り直しをしろとか指示を出す。次に戻ってきたときに良くなっていればOK。やっぱり自分が立ち会わなきゃいけないっていうときは、夜中に酔っ払っていてもスタジオに行くんですよ。不思議と、スタジオに着くと酔いが醒めちゃう」

いつでも連絡が取れるようにと、枕元には携帯を置いて眠っていたんですよと、携帯電話を掴む仕草をした。

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「夜通し二四時間レコーディングをやっていた。そのとき、ぼくはまだ五〇歳ぐらいかな。エイベックスの松浦君たちはみんな二十代。彼らに負けるわけにはいかない、と思ってね。元気でしたね」

戦後の芸能界の歴史は、進駐軍で演奏していたミュージシャンたちに遡る。彼らがプロダクション経営に乗り出し、枝分かれし、テレビという新しいメディアと共に大きくなってきた。

その流れの中で、福島から単身、コネもなく入ってきた平は「異物」である。人気グループを次々と生み出したことで、摩擦は起きなかったのか――。

ぼくの質問を平は途中で遮った。

「意外にピンと来ないかもしれませんが、例えば、かつての『ザ・ベストテン』でベストテンに入るのか、11位で『残念』なのかというのは、ほんの少しの差です。それと同じように、色んなところで『ほんの少しの差』があるんです。そこで勝つために、プロモーション合戦というものが起きてくる。ぼくは、そこに加わりたくないと思ってきたんです」

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