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SPEED、DA PUMP…平成の音楽界に「沖縄の強い風」が吹いた本当の理由

二人のヒットメーカー【最終回】

「帝国」──。90年代、紅白歌合戦や日本レコード大賞を総ナメにしたライジングプロダクションを、陰でこう呼ぶ芸能関係者がいた。沖縄の才能が、日本中を席巻したあの時代。立役者たちは舞台裏で何を考え、どう動いていたのか。

沖縄アクターズスクール校長・マキノ正幸と、ライジングプロ代表・平哲夫への直接取材で描くノンフィクション『二人のヒットメーカー』。平成音楽シーンの熱狂が、いまよみがえる。(文中敬称略)

 

SPEEDの最大の強みとは

一九九〇年代中盤、平哲夫とマキノ正幸は、「スーパーモンキーズ」から派生した「MAX」、さらに「SPEED」、「DA PUMP」を沖縄から送り出している。

SPEEDについてマキノはこう語る。

「平さんから、できるだけ若くて、歌って踊れる四人の(女の子の)チームを作ってくれって言われたんです。でも、四人も歌える子は(沖縄アクターズスクールには)いなかった。あれは今井(絵里子)と島袋(寛子)なんです。両サイドは歌を歌ったこともないですから」

マキノの著書『沖縄と歌姫』には、今井と島袋をデビューさせるつもりだったが、二人では〈ビジュアル的に弱い〉ということで、上原多香子と新垣仁絵を入れたと書かれている。上原については〈なんといっても、そのルックスの良さが際立っていた。彼女のように美しさが才能という場合もある〉と評している。

一方、平のSPEEDに対する見方は、少々角度が違う。

「SPEEDの戦力は寛子の先天的なハイトーンなんです。『Body&Soul』という曲は、今井絵理子のアルト(低音)と寛子のハイトーンを生かそうと思った。(スタジオで)寛子に歌わせてみると、ハイトーンがどんどん出るんです。もう半音上げよう、もう半音上げようって、結局四回も上げた。最初のレコーディングのときよりも、二音も上がっているんです。ガイドボーカルも出ないぐらいのハイトーンでした」

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