正義という名の棍棒を振り回す「ゼロリスク信者」たち

あなたの、その正しさは本当に正しいか
週刊現代 プロフィール

そもそも、感染リスクをゼロにしたいなら、それこそ家族全員が一歩も外に出ず、コロナ禍が完全に終息するまで、そんな暮らしを続けるしかない。それは「感染リスクをゼロにしろ」と主張するかのような「ゼロリスク信者」でも不可能だ。そんな生活は、社会的な死と同義でもある。

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「高齢者がベッドに拘束された結果、歩けなくなるなど身体に不調をきたすことを廃用症候群といいます。いまのままでは、社会全体がそんな状態になりかねません。

インフルエンザの感染者数は国内で推定1000万人、死者は1万人と言われています。でも、その事実を知っても私たちは生活を止めようとは思わない。なぜなら、そのリスクをある程度回避しつつ、受け入れることも許容しているからです。生きるということは、不測の事態とともに生活することなんです。

 

毎日のように各国や各都道府県の感染者数が報じられています。まるで、感染者を増やさないことは国や自治体の威信の問題であるかのようです。

その結果、境界の外側から内側にリスクがあるものを入れるなという発想が生まれ、差別や排除が起きてしまう」

実際、徳島県の飯泉知事は4月24日の定例記者会見で、県外ナンバーの車に「暴言やあおり運転、投石、傷つける」といった嫌がらせが発生していると公表した。徳島県にとどまらず、実際に日本全国でこうした差別的行為は行われているのだ。

「正しさ」は変わる

地方では、東京に住んでいるだけで親の死に目に立ち会うことを病院に拒否されたり、葬儀への参列を拒まれたりする事態も相次いでいる。「新型コロナの感染を防ぐ」というただ一点において、こうしたことが正当化されているのだ。

この状況を打破するためには、私たちの想像力を働かせることが肝要だという。