WHOと国際政治、健康の定義、箸の上げ下ろしの厄介な関係

戦後の「健康」の歴史とともに
大脇 幸志郎 プロフィール

大国の機嫌を損ねれば、戦争を始めたり、国際協力から自分だけ抜けると言い出したり、何が起こるかわからないのだから。

だからこそ、WHOの行動指針は、なんとでも解釈できる、具体的には何も言っていないものでなければならなかった。

その結果、WHOは箸の上げ下ろしにいちいち口を出す組織になってしまった。

ジュネーブにあるWHO本部 Photo by iStock

「健康観」に抵抗せよ

さて、何が正しくて、何が間違っていたのだろう?

世界平和を目指すのは間違いなく正義だ。ただし、保健事業がその方法でなくてもいい。

みんなが健康になったほうがいいのは間違いない。しかし、健康が唯一の価値ではない。どこまでもひとつの価値を追求するプレイヤーはどこかにいるべきなのだろう。しかし、それが多数派である必要はない。ましてすべての人に同調を強いるべきでもない。

ここには書ききれないが、冒頭に引用したように、現実離れした健康観は、病気や障害とともに生きる人々を排除する。それは平和の理想とも食い違ってしまう。

私たち個人にできることは、画一化に抵抗することだ。最近の本で、二分脊椎、精巣癌とその再発、甲状腺癌といった病気を40代までに経験した鈴木信行が、こう言っている。

病気があっても、考えと生き方を変えることで、健康になることはできる。私はそう思うのです。
自分にとっての、「健康」の定義はなんですか?
(鈴木信行『医者・病院・薬局 失敗しない選び方・考え方』33ページ)

健康という言葉を掘り崩し、多くの文脈で実質的に無効化してしまう、実にしたたかな言葉だと思う。

筆者にとっての「健康」の定義は――他人に言ってもしょうがないことかもしれない。だいいちそれはWHOの話から逸れてしまう。

興味がある人は、『「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信』を読んでほしい。読者ひとりひとりで違う「健康」の定義を考えるために、何かのヒントを差し出せたらいいと思っている。