WHOと国際政治、健康の定義、箸の上げ下ろしの厄介な関係

戦後の「健康」の歴史とともに
大脇 幸志郎 プロフィール

テレビやコンピュータが嫌いということなら、「ゲーム障害」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

ゲーム障害という病気を作ったのはWHOだ。2019年5月に、国際疾病分類第11版(ICD-11)をWHOが採択したことによって、ゲーム障害は全世界に通用する病名だと決められた。

ほかにも例は掃いて捨てるほどあるのだが、これくらいにしておこう。

平気で嘘スローガンを出せる理由

WHOのすることを観察すると、いったい何が目的なのだろうと感じることがある。

こんなに人の生活に細かく口出しをすれば、あの妄想のような超健康が達成できると、本気で思っているのだろうか?

そういうわけでもないらしい。WHOの歴史を振り返ってみると、違った側面が見えてくる。

もともとWHOは戦前の国際連盟保健機関(LNHO)を前身として生まれ、LNHOの事業を引き継いだものだ。

国際連盟の時代にあって、LNHOの最優先の課題は伝染病対策だった。さらに、1929年の世界恐慌をきっかけに、低栄養状態の失業者のあいだで結核が流行するといった事態が注目され、栄養対策も大きな仕事になった。伝染病対策も栄養対策も、多くの人の生活に介入することなしには実行できない。当時はそうでもしなければすぐに死んでしまうような病気が世界にあふれていたのだ。

意欲的に働いたLNHOも、戦間期の世界情勢の中では国際政治のコマにされることを避けられなかった。LNHOの東アジアでの事業を担当したシンガポール伝染病情報局の次長は長く日本人が務めた。その背景には、1933年に国際連盟から脱退すると通告した日本をつなぎとめたいという事情があったという。

戦争が終わってWHOができた。冷戦期にはソ連がWHOを脱退し、のちに復帰を主張したときにはアメリカが反対するという一幕があった。ここでもやはり、健康は政治のコマにされている。ともかくソ連復帰は成った。(安田佳代『国際政治のなかの国際保健事業』を参照)

そして1978年、WHOと国連児童基金(UNICEF)が主催してソ連のアルマ・アタで開催されたプライマリ・ヘルス・ケア国際会議で、有名なアルマ・アタ宣言が採択される。

アルマ・アタ宣言にはこんなことが書いてある。

2000年までにすべての人に健康を妥当な水準で達成することは、世界の資源をより十分によりよく使うことで可能となるが、その資源のうちかなりの部分がいまは武装と武力衝突に費やされている。

この「2000年までにすべての人に健康を」というフレーズは当時さまざまな場面で繰り返されているスローガンだった。なお開催国となったソ連は、アルマ・アタの前にエチオピアとソマリアの戦争に介入し、アルマ・アタのあとにはアフガニスタンに侵攻している。

「すべての人に健康を」というスローガンは、アルマ・アタですでに嘘だった。

さて、WHOにソ連は復帰できたが、台湾は1950年に脱退して以来、復帰できていない。2019年2月18日、WHO西太平洋地域事務局長の葛西健は記者会見でこう発言した。

2003年、SARSがございました。わたくしもそのとき同僚を亡くしてるんですが、それ以降、本当に一生懸命対策をしまして、地域全体の対応能力はかなり高まっております。

なるほどそれは事実なのだろう。しかし葛西は、台湾がSARSにあたってWHOから協力を得られなかったこと、そして改めて世界保健総会への参加を希望したこと、にもかかわらずいまだに台湾は中国の拒否により阻まれていることには触れていない。

繰り返すが、筆者はWHOがCOVID-19に関して中国びいきだとは思わない。アルマ・アタと同じことだと思う。大国の顔色をうかがうことはWHOにとっては宿命だ。