新型コロナで中止になった舞台に思う
新作歌舞伎に宿る「命のきらめき」の意味

生命力溢れる芝居にしたい」中村勘九郎さんが、赤坂大歌舞伎「怪談 牡丹燈籠」のインタビューで、そう力強く話していたのは約5ヶ月前。1月中旬のことだった。

新型コロナウイルス感染症の影響で、2月末から多くの舞台公演が中止となった。緊急事態宣言が解除された6月上旬の時点では、美術館や映画館、劇場などの文化施設が、徐々に再開してきている。でも舞台の場合、一旦中止となった作品が再び上演されるとしても、稽古や会場の都合で、どんなに早くても1年以上先のことになってしまう事が多い。

ただ、いつの世にも、芝居は“時代を映す鏡”であったはず。今回は、むしろ“上演されなかった”ことで、楽しみにしていたのに観られなかった人だけでなく、全く歌舞伎に縁のなかった人も、「歌舞伎って、こんなこともやっていたのか」とか、「歌舞伎には、時代を超越して、人間の心の機微が描かれているんだ」「演じ継がれる作品には、ちゃんとした理由があるんだ」と、新たに興味を持ってもらえる、そんな機会になるのかもしれない。

というのも、今回上演されるはずだった「怪談 牡丹燈籠」は、昨年5月にNHKプレミアムで放送され高い評価を得た「令和元年版 怪談牡丹燈籠」を手掛けた源孝志さんが、初めて歌舞伎の演出と脚本を担当することになっていたからだ。

「四谷怪談」「番町皿屋敷」と並び、日本三大怪談噺とされる「牡丹燈籠」は、元々は三遊亭圓朝が江戸末期に作った落語。歌舞伎でも人気の演目だが、一般に知られるストーリーは、浪人の新三郎と旗本の娘・お露との恋物語がメインだ。新三郎を思うあまり、焦がれ死にしたお露が、幽霊となり夜ごと牡丹燈籠を持って新三郎のもとを訪ねる幻想的なシーンが有名である。

でも、新三郎とお露の物語は、長編落語「怪談 牡丹灯籠」の一部でしかない。原作は、お露の父・平左衛門とその忠臣・孝助との愛憎や、お家乗っ取りを企むお国とその間男である源次郎の色と欲への執着、町人の半蔵・お峰夫婦の強欲さなどが生々しく交錯し、壮大な仇討ち、因果応報の物語になっているのだ。

撮影/岸本絢