言葉が暴力をつくり出す

科学技術には良い面もあれば悪い面もあります。最初は良い面に注目が集まりますが、ある域を超えると今度はネガティブな面が強調されていきます。ダイナマイトを考えてもそうでしょう。最初は人間の力が及ばない物を壊すために非常に役立ったのに、それがやがて社会を破壊する戦争の道具に使われるようになりました。言葉も同じです。

言葉は、人間が手にした技術の中で最初にして最大のものといってよいと思っています。人間の認知能力は、言葉の発明によって一度つくり変えられました。これが、「認知革命」と呼ばれるものです。かつて言葉は人々の間のトラブルを調整するための交渉にも使われていたはずだし、集団間の暴力を鎮めるためにも使われていたでしょう。だから人間は集団を大きくすることができました。

ダイナマイトと同様、最初は言葉もよい作用をもたらいました。しかし、やがてその言葉が、暴力をつくり出すために使われるようになると、だんだん人間にとってネガティブな作用をし始めます。
 

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言葉を発達させるうちに、文字も生まれました。最初は、石や木に書いていた文字を、紙に書くようになり、やがてそれを印刷するようになる。さらに技術が進み、テレックスができ、ファクスが生まれ、そして今、ぼくたちはインターネットを通じて電子文字でつながるようになりました。

そもそも文字を介した理解には、常に疑いがつきまといます。会って話していれば、発せられた言葉だけの意味ではなく、相手の顔の表情や仕草、声色から裏の意味や背景を同時に感じることができます。

しかし、文字は読み手本位のコミュニケーションツールであって、対話ではありません。書いた人はその場にいないので、読み手の勝手な解釈が許されます。読み手本位であるために、ときに誤解を生んで書き手が思ってもいなかった結論になったりします。再現する過程で誤解が生じるのは当たり前で、それを避けることはできないのです。