身体より言葉を信じるようになって

こうして今、人間の世界には、身体を通じたコミュニケーションをまったく無視した社会が出来上がっています。

人間は、言葉でルールをつくっていきます。たとえば、保育園では、「ねんねの時間ですよ」「一列に並びましょう」と言われて、子どもたちは眠くないけど眠らされ、並びたくはないけど並ぶ。小学校もそうです。「今日は朝礼があるから整列する」「教室に入ったら席につく」。こうした言葉による規則が先にあって、自分がしたいことより、その規則を守ることが先決になります。会社のルールや法律など、すべて言葉によるルールです。

photo by iStock

ゴリラの場合、何の挨拶もなしに2メートル以内に近づいたら、身体が「えっ、何かおかしいぞ」と反応します。この「2メートル」という距離も、ぼくが感じたことを言葉にして翻訳しただけで、実際の距離は状況によって異なります。でも、その距離はその場にいればわかるし、ゴリラが何かを訴えてきていることもわかる。

「何か興味があるものがぼくの周りにあるんだな」「ぼくと遊びたがっているんだな」「ぼくの隣に座りたがっているな」ということは、目を見ればわかります。何かいたずらをしようというときには、目がキラキラと光っています。ゴリラの行動や表情を受けて、ぼくは瞬間瞬間に理解し、どういう行動をとるかを判断します。こうして僕が身につけた彼らの「行動文法」は、「こういう行動をしたから」「こういう表情をしたからこう」などと言葉だけで表すことができません。

ところが、今の人間社会は、不変のルールに従うことが日常生活になっています。言葉が先行しているから、身体が感じていることより言葉を信じる。ルールが合わなくなったときにすぐに調整することができないために無理が生じます。